Boy's Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

ラブストーリーは突然に(Cover)

 朝から東寺のガラクタ市に出かけた。
 引きこもりの反動からか、ここのところめっきり外出好いてきている。…深刻な運動不足でもあるのだ、実際。

 東寺では毎月21日に「弘法さん」こと「弘法市」が立つのに対して、こちらは「裏弘法さん」と呼ばれる「ラクタ市」。ちなみにここ京都では、毎月25日に北野天満宮で行われる「天神さん」こと「北野天満宮骨董市」も有名である。

 今年は例年よりは出店数もしぼり、道幅を広くしての開催とのことだった。
 おかげで通常の「弘法さん」のように「歩くのが困難なほどの人混み」には至らず、悠々と境内を巡ることができた。自分は職場がほど近いため昼休みなど「弘法さん」には過去数度訪れたことがあるが、毎度平日でもえげつない混みようであったため、それ以降わざわざ足を運ぶことはなかった。今や弘法さんも大分間引いた形での運営になっているのだろう。コロナ禍2年目…皆工夫して新しいあり方を今も模索中だ。
 
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 人々の手や生活、様々な時代を渡り歩いてはこの場に集った歴戦のガラクタたちが、その傷を負った体と愛おしい目でこちらを見つめ返す。思わず何度も恋に落ちかけたが、そこで私も理性を保ってじっくりとお付き合いできる相手かどうかを冷静に見極めなければならない年齢に差し掛かっている。勢い迂闊に恋に落ちたばかりに、お互い傷ついたり傷つけたりはもうゴメンなのである。カワイイだけではダメだ、生活を共にする中でお互いの差異を認め合い、尊重し合えるかが最重要である(何の話やねん…)。

 結局のところ自分は厳選した7インチレコードを10枚超ほどゲットするに至った。レコードだけは水や空気のようになんぼあってもよいのであった。

 午後は岡崎公園へ移動して「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展へ。
 最終日に駆け込んだので通常よりは人出も多かった方だと思うが、それでも今となってはなかなか密にはなりづらくなっているのが嬉し悲しいかな、観光都市=京都の現状である。
 

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 大正時代に東京帝国大学建築学科の学生ら有志によって旗揚げされた「分離派建築会」。海外のセセッション(ウィーン分離派などに多大な影響を受けて、建築もまたアートたるべきだ、という信念を掲げた。展覧会も成功させて早々にその能力を評価された彼らの設計による建築作品は、今も私たちの生活圏で身近に現存するものも多い。
 東京に住んでいる時分は、ずいぶんとその風景に馴染みもあった御茶ノ水の聖橋をはじめ、朝日新聞社屋、日本武道館や、京都でも京都タワー京都中央電話局西陣分局、京大学友会館なども彼らの設計によるものだと今回初めて知ることができた。

 いずれも現在の建築デザインにはないどっしりした重厚さを持ち合わせながらも、カーブの多用などモダンで今も古びることがない。定規を駆使して描かれた当時手書きの設計図面も美しいものだった。もちろん建築の専門知識など全く持ち合わせてはいないが、青焼き図面などまるでプラネタリウムさながらのミニマルな構造美で単純に視覚的な美しさに感嘆した。

 ご時世柄なかなか旅行にも興じることができないが、図らずも身近で日本近現代史を巡るような休日となり心地よい疲労感に包まれた。
 

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 残り物のトマトスープにスパイス類とカレー粉末を入れて、最終形態であるカレースープに進化を遂げた。びんちょうマグロの漬けにはあかもくと納豆のねばねばミックスをオンして。キャベツと厚揚げの蒸しサラダ、ほうれん草のおひたし…お腹が減っていたとはいえ食べ過ぎた。
 
 倉地久美夫『いいえ、とんでもございません』(2014年)を聴く。過去の名曲やカバー曲などの弦楽編成アレンジ編集盤とも言える内容。倉地氏のギター、歌はもちろんその詩世界は異形にしてもはや孤高で素晴らしく、個人的には年々人間国宝級のそれだと思う。今作では大城真氏の録音、プログレッシブな弦楽アレンジの寄り添いもスペシャルだと思う。
 個人的には氏の作品には欠かせない精緻な独特のジャケットアートが大好きなのだが、あえて他者を起用したのは、今作を独力だけでは仕上げず、あくまで他者との関わりの中で(むしろ委ねて)仕上げるということがコンセプトであったことが否応なく伝わってくる。従来の氏のアクのみを十分に堪能したい時にはソロ作に興じるに限る。
 

あの日 あの時 あの場所で
君に会えなかったら
僕等はいつまでも 
見知らぬ二人の まま
 
明日になれば君をきっと 
今よりもっと好きになる
そのすべてが僕のなかで
時を超えてゆく
 
 初めて聴いた時には思わずのけぞった激カバー…お馴染の歌詞の聞こえ方まで変わってくる気がする。先日なぐぁ氏がDJでかけてらっしゃったことをきっかけに久しぶりにCD棚から引張り出してみた次第。すっかりご無沙汰してしまっている倉地さんのライブも久しぶりにゆっくり拝みたいものである。