Crosseyed And Painless
ドレッシングを景気よくシェイクイットする側から、ゆるんでいたフタが外れて盛大に中身を撒き散らしてしまい、キッチンのあちこちがベタベタになってしまいトホホである。
ピーマンの肉野菜詰め、牛ならぬ豚ゴボウ煮、 海老が生でドレッシング仕立てで。 トマトには豆腐で作ったカッテージチーズ風のものを乗せて。 ヘルシー美味しくてこれからの盛夏の季節にも良さそうである。
他人に対して偉そうに振るまう人を見るにつけて、自分はなるべく謙虚に生きたいものであるな、などと襟元を正してはみるが、 はて自分もまた他人からしたら偉そうに思われてはいないだろうか? 実際につい調子に乗ってしまう性分があることは自覚しているが。 どのみち誰に対してもいい顔はできないものね。
一般的にはT. Headsの代表作と言えばやはりこのアルバムなんだろうか? 先述の通り自分の中でのT. Headsはというと長年『Stop Making Sense』劇中での彼らのことであったので、実のところ、その前夜に生み落とされた、ある種「突然変異」的とも言えるこのアルバムは実は入手当初は放かしたままだった。
前作の「I Zimbra」辺りの延長線上とはいえである。もはやバンドの作品というよりも、Brian Enoの存在感がいよいよ光を増して、David Byrneと二人してスタジオに籠って和気あいあいと盛り上がっては切ったり貼ったりで完成に至ったコラージュ的作品…という印象もあった。加えてかつては80年代のスノッブなニューウェーブの空気感も後追い世代の自分には一時代前の遺物という取っつきにくさがあったし(B. Eno信仰みたいのもないし)。だけど折にふれて聴くたびに良さはどんどん増幅してゆき、むしろ自分にとってはここ最近になってようやくジャストに感じる。
何しろ純粋に音響がカラフルで楽しいし、このシャープでミニマルなリズムはT. Headsの魅力の一側面が拡大されたような意匠で最高である。アフロビートの影響やポリリズムの取り入れ方にしても、どこかT. Heads…というかD. Byrne(+B. Eno)一流の客観的な視点が強く感じられて、はたまた都市のダンスミュージックとしても機能し続けている所以なのだろう。1980年当時のニューヨークのクールに尖った空気もピンピンに漲っているテンションが伝わってくるようでまたシビれる。『Stop Making Sense』はもちろんのこと、『American Utopia』でもいまだセットリストに上るようなライブ映えするナンバーも携えているが、後半のどよよんと白昼夢的なドープ・ナンバー(同時期の名作『My Life In The Bush Of Ghosts』にも通じるような…)の流れも改めて素晴らしい。
Isn't it weird?
Looks too obscure to me
Wasting away, that was the policy
Wasting away, that was the policy
メンバーが一切登場しないこのオフィシャルビデオも大胆で素晴らしいな。