Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Would?

 カツオのお造りに大葉と生姜にニンニク、ニンニク醤油に漬け込んだ山椒などをオンして薬味たっぷりで頂いた。ちくわとキュウリに塩とすりゴマをして揉んだの、ホウレン草のおひたし、鶏ムネ肉にはフォークで穴を開け塩コショウしてなじませたのをチンして蒸し野菜と。カニカマの塩気もあり、オリーブオイルと塩のみの味付けでシンプルに頂くのも美味しい。エノキの香りがふわっと立ってナイスである。
 

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 週末はオートミールを使用して、チャーハンやタイ風カオパッドにトライしてみた。参考にしたレシピ情報によると、あえて「米化」はしないのがパラパラ仕上げの秘訣らしく…半信半疑ながら食べて「なるほど」な仕上がりで簡単美味しく頂くことができた。
 


 オートミール自体にはあまりクセがなくてかつ少量でも玄米のような食べ応えがあって腹持ちも良いので、これは思った以上に今後も重宝しそうである。何より栄養価が高いのも嬉しいではないですか。
 
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 国民の反対を押し切って強行開催されるオリンピックを前に、いよいよ負の連鎖が続いているな。我が国の至らなさ加減が炙り出されては毎日のように全世界に向けてブロードキャストせざるをえない、という地獄の日々である。ましてこのコロナ禍にお祭り騒ぎに国民の血税を投じて…などと考えるにバカバカしくなるが、事態はまだまだこんなものでは済まないのだろう。
 
 何故よりによって? な事前配慮に欠ける小山田氏の今回の人選ミスについても、まず謝罪すべきは氏をブッキングしたキュレーターではなかろうか? そもそも日頃より芸術文化振興全般に対しての理解やサポートに欠けているにも関わらず、わざわざスポーツの祭典などと雑に繋げるから無理が生じるのも必然であろう。ここでも大本営の仕切りの不味さが目立つ。
 
 ところで渦中の95年刊Quick Japan誌については自分も当時目を通した口であるし、何なら私の実家の押入れ深くにも眠っているかと思う。
 個人的には小山田氏の記事を読んだ際には「何と卑怯で陰湿なお坊ちゃん…」などと悪印象を持ったものの、あくまでも一エンタメ記事として読み飛ばしていたように思う。実際に小山田氏も都会的なセンスを見せつける一方で、ちょっと意地悪な毒っ気も魅力のひとつとして支持されていたように記憶する(今考えるといじめ内容自体は差別、虐待行為であるが)。
 
 かく言う私自身はといえば、もちろんいじめっ子タイプとはほど遠く…むしろ小2の時に近所の友人らと缶蹴りなぞに興じていた際に草陰に落ちていた犬のフンをムリミリリ…とばかりにアホほど踏みつけてしまったことがきっかけで、当時流行ったガチャにちなんで向こう町内で「うんち人形」なる不名誉なアダ名を頂戴しては1年以上に渡って無視され仲間外れにされた、という苦い体験がある、トホホ。
 全く生やさしい内容とはいえ、それでもその際の首謀者の顔も名前も未だに忘れることはないものね。
 

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 以降自分がそういったイジメに加担したくはないな、と思っていたのにも関わらず、喉元を過ぎれば何とやらで、そういった記事をエンタメとして「黙認」するという形で無意識下で加担していた要員になっていたは言えまいか? いずれにせよインターネット前夜には自分も社会もまた今よりずっと未熟であったと思う。
 
 個人的には当時Flippers Guitar含めて氏関連の音楽を嗜む趣向はあまりなかったけど、Corneliusは自分が当時大好きなバンドが多く在籍していたUSのMatadorから海外流通盤をリリースしたり、Polystar内で自身のレーベルTrattoriaを運営したり…とメジャーのみならず、インディ界隈でも華やかな活躍ぶりだった。何より周りでも彼の音楽を愛する友人たちは少なくなかったし、そういった友人にCDを借りて聴いたりもした際には、作品を素直に楽しんだ。
 
 若き日の過ちは過ちとして、せめて国内外の多くのファンをがっかりさせないような誠意を見せるべき局面だったけど、あいにくそのメッセージは、テンプレートに乗っ取られたかのようなツルんと隙のない内容で、25年の時間を経てもなお伝わるところがなかったことはつくづく残念である。長年の膿を出す千載一遇のチャンスでもあったのに。こんな機会でもなければ気鋭のクリエイター・キャリアもいよいよ円熟味を迎えた頃合いであったろうに…これからの活動等を通して誠意ある言動が求められるところなのだろう。
  
 Alice in Chains『Dirt』(1992年)。
 ここで話は一転するが…。時同じくして個人的には当時どちらかと言えばこういった音楽にぐっときていたイナたいサバーバン・ボーイであり、全くもって冴えなかった。…がしかし誰が何と言おうとも、個人的には今でも捨て曲一切なしの完璧な美しさをたたえた作品であると確信している。
 

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 当時を述懐するに…終始スロー&ミッドテンポに支配された暗く重たいロック、本国アメリカではそれがNirvanaSmashing PumpkinsSoundgardenPearl Jamらともどもグランジと呼ばれているそうだが、Nirvanaなんかのパンキッシュさに比べると一聴フックも何もなくむしろドロドロしている…加えてそこはかとないHR/HMっぽさも何だかダサく感じさせる一因であったが、ある時何かが弾けたように一転中毒のように朝に夕に通学時のCDウォークマンのイヤホンを震わせることとなってしまった。
 
 そして満を持して1995年にリリースされた次作『Alice In Chainsもリリース前からラジオでかかる新曲を聴いては期待に胸を高鳴らせていたものだが、果たして発売時に入手した蛍光色のCDは研ぎ澄まされた内容が素晴らしく、こちらも併せて愛聴したものである。1994年にKurt Cobainの訃報が駆け巡った時もショックであったが、Layne Staleyのそれもまたちょっと違った衝撃があった。2002年ともなるとすでにオルタナグランジミュージックとも疎遠になりつつあった時期やけど。
 
 当時KurtもLayneもかなりヘヴィなドラッグ中毒者でもあり、それが元で寿命を縮めたことは疑いがないだろうが、良きにつけ悪しきにつけ蔓延していた当時の独特の空気感というものは確実にあり、それは今も忠実にレコードに閉じ込められているのだろう。Alice In Chainsの音楽が何故アメリカ本国ではあれほど受け入れられていたのやら…当時日本人の一キッズとしては不思議であったが、今となっては当時のグランジブームとマリファナやアルコール、ドラッグの蔓延は切っても切り離せないものだったと考えている。実際ここ日本ではあまり支持されなかったような。
 
Alice In Chains - Would?


Into the flood again
Same old trip it was back then
So I made a big mistake
Try to see it once my way

If・I・would・could・you?

 
 せっかく梅雨が明けたにも関わらず終日ドヨンとした気分であったが、久しぶりにQuicksandHumAlice In Chainsやらの懐かしのメジャー・オルタナを聴くにつけて、何だか少しだけ生気を取り戻した次第である。…とはいえただでさえ暑苦しいこの季節にこのネットリとまとわりつく音楽をわざわざ他人様には特にオススメはしない。