Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Nem Paletó Nem Gravata

 1945年8月6日8:15AM 広島に原子爆弾投下。
 黙祷。
 
 近所のベトナム料理店にてまた謎のシーズニングを数種入手したので、鶏肉とタケノコやキャベツに入れてベトナム風蒸し野菜にした。ベトナムでは一年中夏でも鍋物などを食すそうで、鍋用のシーズニングとお見受けしたが、適当に振りかけてナンプラーとレモン汁を足して味を整えた。
 

f:id:monomoon:20210804172914p:plain

f:id:monomoon:20210804173107p:plain

 
 サワラのヅケとワカメとお麩のナムル、キュウリとチクワをキムチの残りと揉んでみたのと、作り置きの厚揚げ炊いたん、ラタトゥイユはそれぞれ作りたて時よりも角が取れて味がええ塩梅にまろやかになっており嬉しい。
 この季節のキッチンでの火の使用はなるべく少なめに抑えたいところである。
 
 Marcos Valle『Previsão Do Tempo』(1973年)を。
 ポルトガル語で「天気予報」を意味する、御大の潜水姿が涼しげなアートワークが大変チャーミングでおなじみの本作は、個人的にも夏の定番アルバムである。
 

f:id:monomoon:20210804173121p:plain

 
 テンダーでファンキーなウキウキする極上ナンバー揃いで、ただでさえ昨日のような酷暑と湿度でズンと重くなりがちな足取りも軽やかにしてくれる1枚で重宝している。
 Marcos Valleの朗々と紡がれるボーカルとギターがただでさえ最高であるのに加えて、Azymuth(←最高峰)のファンキーなバッキングがまたとても贅沢な邂逅となっている。心地よく絡む電子音も絶妙な相性で、終始漂うピースなグルーヴ感がたまらない。
 
 Azymuthとの共演では前作に当たるインスト作『Fly Cruzeiro』(1972年)においては、クルゼイロ空港の当時マネージャーを務めていたお父上の縁故によってこの顧客向け非売品LPが製作された経緯がある、と読んだことがある。お坊っちゃまにして男前、かつこの音楽の才とは…もはや背中が遠すぎて羨望の感情すら湧いてこない。
 
 ↓アルバム2曲目の「Nem Paletó Nem Gravata」=「ジャケットもネクタイも着用してない」の意のようで、Google翻訳してみたところでは、社交界や俗世の窮屈なルーティンから逃れて刹那的な「喜び」のために生きたい(ている)、といった自由讃歌にも受け取れる。これまでのキャリアの変遷を見ても、その時々の気分に忠実で、変化を恐れない自由人気質なのだと勝手に察する。そしてそういう人物の奏でる音楽は自分にとっては貴重である。なるべく寛容で柔軟な姿勢こそが平和な社会を作ると思うので。
 …かくいう自分もまた年々フリー・マインドを失いがちでよろしくない。
 
・Marcos Valle - Nem Paletó Nem Gravata


Perdi, ganhei meu dia
Eu vivo é de alegria
O mundo é brincadeira

E o resto é besteira
Estou vivendo em terra estendida