Whitetail
先日の健康診断の最終結果は未着ながら、おかげ様でコロナの後遺症らしき自覚症状はその他特に見ら
先週は連日の秋晴れに恵まれて、
天満で頂いたモツ煮込みとホルモン串…実に美しいフォルム&カラーリングである。
大宮で頂いたイワシの塩焼きと梅キュウ…。
河原町で頂いたとり天とだし巻き…(は撮り損ねた)。
連日嬉しい再会と美味しいアテを肴についつい夜半までお酒が進ん でしまい、週末は久しぶりの二日酔いとともに嬉し楽しい余韻が長らく続いていたのだった。
賑やかしき週末も終わり、 ひとり巣穴へと戻れば相変わらず自炊にも余念がなく、 今や文字通りライフワークである。
とは言えもはや料理と呼ぶにはおこがましく… 手軽で野菜を多く摂取できる鍋物で済ませてしまうことが多いのだが。この季節は大根、人参、 ゴボウ等の根菜のストックが欠かせない。鍋が煮立つのを待つ間に京揚げもあぶってみたりして。大根は漬け時間が浅すぎて少し辛かったけど、それも悪くはない。
『ロード・オブ・カオス』(2018年)がアマプラに上がっているのを発見して鑑賞した。
ヨナス・ アカーランド監督自身もさすがは元Bathoryメンバーであることもあ り、レコード屋やバンドの演奏シーンやロゴ作成、ファッション、 会話に至るまでディテールの描写がきめ細かくてより真に迫る仕上 がりとなっていた。
例えばヴァーグ(Burzum)とユーロニモス(Mayhem) の初対面時、ヴァーグのGジャン胸部に貼ってあった「 Scorpions」 のパッチをユーロニモスが無言で指差して蔑むシーンとか( その後ヴァーグは帰宅後にパッチをゴミ箱に捨ててしまう)。
当初こそ「ポーザー(素人)」呼ばわりされていたヴァーグ(= カウント)だったけど、レコード屋でのディグセンス、 何より彼自身による音楽製作= Burzumのデモテープ等を通して、 ユーロニモスに一目置かせるようになる描写しかり。
ヴァーグの才能の開花と並行して異端性も暴走し始め、遂には教会に連続放火〜焼失させたり、殺人にまで駆り立てたり等…後半はむしろヴァーグの加速する猟奇的なキレ具合こそがクローズ アップされる。一連の殺戮シーンにもじっくりと(イヤ~な)時間をかけており、 いちいち細部へのこだわりを感じた。
Mayhemも素晴らしいけど、何といってもBurzumの音楽を最初に耳にした時の… そのあまりの荒漠とした孤独な世界観を前に、思わず背筋が凍るような悪寒を覚えたことを久しぶりに思い出した 次第である。
映画の内容自体はカルト&シリアスそのものなのだが、終始メタル&B級趣味も全開でエンターテイメント的にも楽しめた。
余談であるが、鑑賞中にずっとユーロニモス役の俳優がとてもあの人に似ているぞ、と思っていたところ…実にロリー・カルキン氏という、マコーレー・カルキンの実弟なのだった(弟さんいらっしゃったのですね)。
Low『Things We Lost in the Fire』(2001年)を久しぶりに。
このレコードはリリース当時よく聴いたものだった。 それまでの彼らの世界観がぐっと一点にフォーカスされては、ある種の高みに達した傑作だと今もって思う。
シンプルにリフレインされる厳かなアンサンブルはチャントにも似た神聖さを感じさせる。独特の浮遊感はあるけどしっかり地に足がついており、くすんだ現実感やひりつくような緊張感を伴うビターさもまた醍醐味だろう。
全体の音数はぐっと最小限に絞られており、もはや寒々しくすらある。実は薄っすらと色々な楽器の音がオーバーダブされることに気が付くけど、微かに振動するようなサンプラー音の質感すら確認できるほどに隙間のあるアンサンブルが印象的だ。聴き手は必然的にその行間に耳を凝らして聴くこととなる。
そんなバンドのナチュラルな息遣いや余韻を忠実に記録した人物こそ、かのSteve Albini氏であり、エレクトリカルオーディオ・スタジオ(シカゴ)での謹製録音がLowの音楽にもばっちり似つかわしい。
クレジットを拝見するに、どうやらバンド録音はシカゴで、一部オーバーダブはミネソタで行われたものらしい。…ちなみに彼らのホームであるミネソタのダルース(Duluth)という街を地図上で確認するに、五大湖を挟んでシカゴにもかなり近い立地だったんだな、とも改めて。
・Low - Whitetail
Stay up all night
Waste time, waste light
Closer, closer
Ever closer
確かこのアルバムの最新リリースのタイミングに前後して、 ここ日本でもP-Vineレコードから『Secret Name』(1999年)、『Songs For A Dead Pilot / Christmas』(1997 / 2000年)なんかの旧作が国内盤で次々とリリースされたりもして、 多分に漏れずそれらCDを買い求めては並行して愛聴していた口であった。
Lowのミニマルな世界観はKrankyからのリリー スも納得できたものの、 まずもって典型的3ピースロックバンドの体裁を取っており、 自分にとっては逆にある種異端な存在にも感じた( Jessamineとかもいたけど)。
そう言えば2001年と言えば、当時こちらのコラボレーションによるNeil Youngカバーソングも併せて愛聴していたことも思い出した。ここでは、つい先日訃報が報じられたLowのMimi Parkerがリードボーカルを取っている。
・Low + Dirty Three - Down By The River
そんな中にあっても、 やっぱり改めてLowの音楽には今もってオリジナリティが宿 っていると思う。その個性の中核となっているのは、 AlanとMimiのファミリーや信仰等を通して育 んだ、ミネソタの地をベースとしたパートナーシップではなかったか?…なんちゃってね。実際Alan & Mimiの溶け合うようなコーラスワークのハーモニーには息を吞むものがある。例えば『You May Need A Murderer』(2008年)でのホームでのプライベートショットなんかを見るにつけて、お二人の結束力をより強く感じるところである。
・Low - You May Need a Murderer
バンドは『Trust』(2022年) リリースを最後にkrankyを離れ、その後はシアトルの殿堂レーベル=Sub Popに移籍しては淡々とマイペースに進化し続けては現在に至る という歩みであろう。…がしかし当時若かりし日の自分は、LowがSub Popと契約したことで、遂にLowもセルアウトしてしまった、とばかりに以降の作品にあまり興味を示さなくなってしまった事実をここに告白せねばならない。お恥ずかしい話だけど、今にして思えば全く尻の青いアンダーグラウンド至上主義野郎だったわけである。かつて90年代全盛期のSub Popが世界に向けて紹介するローカル音楽を浴び倒していたからこそでもあるのだが、何よりバイト代収入も限られていたお財布事情もあり…どうか赦してほしい。
というわけで寡聞にして以降の目覚ましい活躍ぶりを一切存じておらず、恐縮の至りであるのだが…ほんの数年前にふと思い立って『The Great Destroyer』(2004年)、『Double Negative』(2018年)辺りを聴き直してみたところとても良い作品で、現在に至るまでなお素晴らしい現役バンドであることを再確認した次第であった。
R.I.P. Mimi Parker
自分にとってMimiは、マーチングスタイルのシンプルなドラミングと、ふくよかで包容力のあるボーカルが魅力的なミュージシャンであった。ドラマーでシンガーである前にAlan Sparhawkの私生活におけるパートナーにして、Lowというバンドにとって必要不可欠なパーマネント・ メンバーであったことを思うと、 バンドにとってもAlan氏にとっても、 その喪失感がいかなるものであるかはもはや想像もできない。
ちなみにLP中4面は無音で、円に沿って歌詞がカッティングされており、お経さながらである。随分久しぶりにレコードを取り出してみたところ、3面からの流れでうっかりこの4面にも針を落としてしまい、それを2度ほど繰り返したところでようやく「そういえば…」と思い出したのだった。
さては今週も金曜日である。家路へと急ごう。