Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Whirlpool

 
 例年よりも早咲きの桜はあっという間に満開となり、ここ京都の街には人々があふれている。
 道ゆく人々は皆一様にマスクを着用しており、今のところ例年とあまり変化は見られない。個人的にも現段階でも用心するに越したことはないと考えるし、何より花粉症なので特にこの季節はマスクが手放せない事情もあるのだった。
 
 かくいう自分も、先日友人に誘われるままに、京都駅近くの東寺にて観光客に混ざって夜桜を見物する、などといった春の京都らしい営みに興じてきた。
 恥ずかしながらこれほど立派な咲きっぷりとは知らなんだ。さすがは世界遺産を抱えているだけのことはある。敷地面積も広くて見物客も回遊するせいか、さほどの圧迫感は感じなかった。
 

 
 今年の春は、今のところいつになく花粉症の症状が軽くて助かっている。ひょっとして小麦粉の摂取がかなり控えめである昨今の食生活も影響してたりするのでは? なんて内心考えている。
 ここ最近というもの、パンや麺、ライスを頂くやすぐに眠たくなってしまう体になってしまった。逆にそれらを控えると頭や体がすっきりしてテキパキ動けるのだった、自分の場合。…とはいえ甘露よね、炭水化物ってば。たまには無性に頂きたくなり、忙しさにもかまけてシーフードのを所望してはズルズルと頂いた。翌日は鼻水もズルズルだった(気もする)。
 

 
 先週の平日晩は珍しく多用であった。夕方になり仕事がはねてから、いつものように家に直帰するのでなく、連日あちこちへ寄り道することとなった。
 
 月曜日は大阪のフェスティバルホールにてJackson Browneの来日初日公演を観覧してきた。平日頭にも関わらず3階席まで大入りであった。
 事前に想像はしていたものの、果たして客席には白髪混じりのベテランファンのお歴々(かつての少年たち)が鎮座しては開演を今や遅しと待っていた。公演は途中15分の休憩を挟んだ2部構成である。ちなみに休憩時のトイレは物販のそれに負けじと長蛇の列であった。
 3階席は初めてであったが思いの外高い場所にあり、当初こそ下を見下ろすのが怖く感じられたほどである。おかげ様で2列目からはステージ全体がよく見渡せたのであるが。
 


 果たして個人的に初めて生で聴く御年満75歳のJ. Browneの歌は実に滋味深いもので、じんわりとした深煎りの感動が残った。

 飾り気ない格好でステージに現れては終始落ち着いた声で語りかけるように歌う、御大のフラットさに音楽そのものに対する真摯な姿勢を感じては胸を掴まれた。往年の名曲の数々もさることながら、現時点でのライブ演奏こそがグッとくるなんて理想的である。サポートバンドもまた大所帯ながら決して大げさにならず絶妙であった。

 さすがは現在に至るまで長きに渡ってコンスタントにスタジオアルバムをリリースし続けてはツアーを繰り返す現役ミュージシャンである。こんな歳の取り方ができたら素敵やろな、などと今後年齢を重ねることにもより希望が持てた夜であった。

 

 

 前列は先輩4人組。多感な青年期をともに過ごしたりしてたご学友なのだろうか? ひとりの女性を奪い合ったり…などと勝手に想像が膨らんだりして。変わらずに連れ立ってライブに足を運べるなんて全く素敵な間柄である。

 

 

 翌火曜日はネガポジで「Blankey Jet 酒場!!!」であった。様々な世代のバンドマンが一堂に会しては、各々思い入れのある某BJC作品のみを拝借して30分のDJセットを展開する→のちトーク、という実にシンプルな催しである。   
 自分が特に思い入れがあったのは、何と言っても初期の彼らの作品である。中学生の頃にちょうど2nd作『BANG!』(1992年)がリリースされた折、ふと深夜ラジオで流れた同アルバム収録曲「Soon Crazy」の不穏さに心奪われた。その後1st作『Red Guitar And The Truth』(1991年)を遡って愛聴してるうちに、3rd作『C. B. Jim』(1993年)がリリースされてより大きな衝撃を受ける、みたいな流れであった。
 その後はどちらかと言えば、時同じくして聴き出していたNirvanaなんかを取り巻くグランジやインディシーンの音楽やカルチャーに傾倒してしまい、以来あまりBJCの新作を追わなくなってしまった、という経緯がある。当時1994年にKurt Cobainが自殺した出来事も世界的に余波が大きかったこともあるけど、何よりこちとらお小遣い事情も寂しかったしね。
 

 
 そんな自分がふとBJC諸作を気まぐれに聴き返してみよう、と思い立ったのは5〜10年ほど前のことだろうか? 久しぶりに実家から掘り起こしたり買い足したりで聴いてみたところ、これが相も変わらず格好いい。ベンジー氏の日本語による詞世界や曲は唯一無二であるし、3ピースのシンプルな初期バンドサウンドは今もって時代に流されて風化することがない。むしろ当時は気が付けなかった良さを初めて発見できたり。最近こういうバンドっていないよな、なんてつい目を細めたりして。BJCに限らず、現代を生きる自分の耳で昔の作品を楽しむ醍醐味はこの辺にもあったりするように思う。
 時代を隔てて30年余年前の自分と顔を付き合わせる機会も、たまには悪くないものである。
 

 

 思い返せば…私が初めてお小遣いで買ったCDは、たまの「さよなら人類」(1990年)であったし、今考えると世代としてはもろに「イカ天」の恩恵を受けた世代に当たるのだろう。イカ天放映時はその存在こそ知れ、もう少しお兄さん、お姉さんの嗜むべき深夜番組であり、私などは一度も見たことはなかった。
 そんなかつての小僧が今や、BJCを解散時のラストアルバムで初めて聴いた世代や、父親が車でかけていて聴くようになったという世代と肩を並べて一緒に酒を酌み交わすことになろうとは、感慨深いものがある。それぞれの思い入れが込められたBJCの音楽をライブハウスの大音響で浴びることができて恍惚の宵であった…と同時にどっと疲弊したのだった。少なくとも体力にはかつての少年の面影はもうないのである。
 加えて個人的に、DJ時にCDJを使用したのは今回が初めての体験であり、レコードとは全然異なる感覚も新鮮であった。
 
 金曜日は大粒の泪にて開催の「パット・ウィックライン個展&演奏会」へ。シアトルよりお越しのパット・ウィックライン氏によるワイヤーやスチールウールを駆使した影絵アートは、そのアイデアこそごくごく単純ながらも、モビール作品の揺れやライティング等の相乗効果によってとても多面的な表情が楽しめる内容であり、パット氏+山内氏+黒田氏の有機的に移ろう息の合った即興演奏も相まって、目に耳に大いに楽しませて頂いた。
 

 
 和モノ80's多めの翆娘氏、アンビエント、チルウェーブ多めのNatsouki氏のDJもそれぞれの個性をゆっくり堪能させて頂きつつ。自分もまた久々に会う友人たちの笑顔に囲まれ、しばしホーム感の温かみなぞほんわか感じながらDJさせて頂いて、かような機会こそ大変ありがたい。1stセットはシンセ電子音もの、2ndセットは女性ボーカルものを中心にかけてみた。その後は酔いも手伝って成り行きでズルズルと脈絡なく…。
 
 おかげで先週末はグッタリ、ひねもす自宅にこもっては映画やYouTubeが映る画面をひたすら無心で眺めることとなったのだった(雨天の影響もあり)。
 
 Panda Bear & Sonic Boom『Reset』(2022年)を。
 昨年末より引き続きSonic Boom氏のソロ近年作を愛聴中であったところ、遂に先月こちらのコラボ作も我が家に届いた。
 事前の期待通り両氏の相性はバッチリで、ひたすらポジティブかつサイケデリックな電子音&チャントが心地良くツボに入りまくる楽園的傑作なのだった。
 S. Boomソロ作『All Things Being Equal』(2020年)と地続きの姉妹作と言えなくもない内容だけど、今回は共作と言うことだけあってか、本作ではよりPanda Bear氏のポップな感性が前面に出ているのが感じられて、S. Boomの生み出すサイケデリアと拮抗している辺りが醍醐味だろう。
 あな素晴らしきかな…ソファにでも深く沈み込んだままずっと浴びていたい。
 

 
・Panda Bear & Sonic Boom - Whirlpool

 

Whirlpool's pulling me
Deeper and down
Fallin' so deep, yes
I'm gonna drown, drown drown

 
 というわけで先日のDJでも早速プレイした次第である(↑この曲じゃないけど)。
 全編に渡って50〜60'sのドゥーワップやR&Rから着想を得た曲を並べる、といったアイデアもS. Boomらしさが貫かれておりナイスである(言われなきゃ分からないけど)。 実際にTroggsやEverly Brothers他のサンプリングなども使用されているとの由。
 

 

 Sonic Boom氏の作るサウンドはやっぱり大好きである。