Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Quiet Village

 びんちょうまぐろを醤油と酒に漬けておいたものを取り出して、イカと納豆、あかもくと和えた。あかもくは生のものをスーパーで安売り(198円→49円)していたので自分で洗ってゆがいてみた。市販のパックのものよりも新鮮なねばりと歯ごたえが格別である…気がする、気にさせてほしい。
 ブロッコリーと豚肉をニンニクと塩コショウでシンプルに炒め合わせた。少しだけ姜葱醤と中華だしを入れるだけでみるみる美味しくなった…気にさせてほしい。
 

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 日曜日は天気も良かったので、自転車のまたがり岡崎にある京都伝統産業ミュージアムへ。
 会期が本日までの「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」を駆け込みで鑑賞してきた。
 中世〜戦後にヨーロッパ諸国を中心に開催された博覧会における、植民地下のアジア・アフリカ諸国の民族やフリークスと呼ばれた人々を見世物とした「人間の展示」にまつわる当時の資料の展示内容であった。
 展示スペースはさほど広くはないが、所狭しと当時のポスターやパンフレットや写真、カードなどがこれでもかと展示されていて、見ごたえは十分どころか、その密度と物量にまずクラクラした。
個人的には職業柄もあってか、当時のデザインや印刷の発色や褪色だけでも目を奪われて興味深く拝見したのだが、個々に背景や連関性などを見出してはいちいち複雑な気分になるのだった。
 
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 「万博」という華やかな祭典によって確かに経済や人々は活気付き、アートやエンタテインメント面でのポジティブな交流や発展等も生まれた。しかし反面では、それはいつでも帝国(ご都合)主義による「権力の誇示」であり、他者への一方的な「支配」「差別」「排除」の歴史に他ならなかった、という事実が、今回の展示での物証を通してはっきりと、そして淡々と浮かび上がる仕組みとなっていた。
 パリで開催された万博には、日本からは福沢諭吉夏目漱石などの文化人が現地に派遣されてレポートを残しているが、同時に彼らはヨーロッパ人から奇異に見られたとのレポートも残っていた。
 日本人を展示したパビリオン?などの記録も興味深かったが、同じ日本人から見るとその、どこか開催側の思惑によって部分的につままれた要素が、ひとところに都合よく寄せ集められたような人工的な印象をぬぐえない。(そこが面白いのだが)
 当時の視察者もその違和感は口にしているものの、その後日本でも植民地であった台湾人を対象にして同様の展示などを催しているという事実も皮肉で滑稽なものである。自分もまた常に差別者でもあり被差別者でもありうるのだ。
 ちなみにごく小スペースながら、映画『グレイテストショーマン』の主人公である19世紀にアメリカで活躍した興行師P.T. バーナムにも触れられており、興業の背景など色々とつながるものがあった。
 
 とはいえ当時のビジュアル的な記録や広告、商品などは一様に楽しげで魅力的なものも多く、大いにエキゾ&モンド趣味を刺激してはワクワクさせてくれた。
 だけど、それこそがいつでも「広告印刷」としての役割であって、歴史的にも「広告」は常に大資本による民衆への「洗脳」機能であり続けたのだ。
 広告印刷の文字通り「刷り込み」の功罪についても何だか考えさせらえれてしまった。
 ちなみに今回のキュレーターである小原真史氏によると、今回の展示タイトルの「イッツ・ア・スモールワールド」の由来について「ご存知のようにディズニーのアトラクションの名前からとりました。1964年にニューヨークの国際博覧会ウォルト・ディズニーペプシ・コーラ提供のパビリオン「イッツ・ア・スモールワールド」を担当しました」と語っている。


 あと21世紀の今改めて感じたことは…時代を超越して「エラそうな奴って大キライだな」ということと「自分がされてイヤなことを他人にするのはやめましょうね」とも。

 東京に住んでいた頃と比べると、ここ京都では展示の絶対数が少ないため(町の規模が違うので当たり前だが)、自分も足を運ぶ機会が減って久しい。
 単純に自分が知らないだけかもしれないけど、こういった気骨のある展示がもっと増えると嬉しい。

・Martin Denny - Quiet Village


 世界的に万博などが開催されなかったら、例えばMartin Dennyみたいな音楽家も出現しづらかったのかしら…などともふと考えてしまう。