Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Funk Off

 
 東京での新生活が始まって早いもので約3か月が経過しようとしている。
 実際今年の夏の暑い盛りはいつになく目の回るような慌ただしさであり、ひとたび立ち止まろうものなら、思わず吐き気でも催しそうになるので、そのまま足を休めることなく無心で前進をしし続けた…というのが正直なところである。
 引っ越しや職場の異動に伴う喧騒が諸々ひと段落するや、東京の街角にもあちこちでキンモクセイの心地よい香りが、立ち込めてきて…などとようやくホッとひと息付けたのも束の間、早くも気温は下がってきて冬の気配が忍び寄っている。
 秋の深まりとともにじわじわと京都の小径の暗がりが恋しくなってきたのもまた事実だ。いずれにせよ、自分が選んだ人生の道である。
 
 京都を去る際には、ろくろく周囲の友人知人にもご挨拶もできなかったけど、挨拶して回ってたらそのまま後ろ髪を引かれてしまい京都を離れることなど出来なかったかもしれず。
 そんな中で月に1~2度のペースで出張が入りそうであるのは喜ばしいことである。とは言えあくまでも商用なのであまりのんびりも出来ないのだけど
 それとはまた別に先週は土日休みを利用して京都へ行ってきた。区営施設を丸1日予約してバンドの録音作業に勤しんできた。窓から見える保育園の庭では折しも秋の運動会が執り行われていた。
 

 一方東京ではここ最近というもの外気もめっきり涼しくなって、ますます下町散策がはかどる季節の到来である。
 京都在住時はどこに出向くにも自転車が主な移動手段であった。結果ほとんど歩くことがなくなっていたのだが、東京に移り住んでからというもの、その事実を改めて痛感したのだった。というのもここ2か月というもの、お尻が慢性的に筋肉痛でジンジン痛いのである。長きに渡る自転車生活ですっかり筋肉も痩せ細ってしまっていたのだろうか? 
 そう言えば京都在住時には一時期、自転車に乗ると発症する謎の股関節炎に悩まされた時期があった。1年ほど近所の整体に通って教えらストレッチを毎晩寝際に習慣付けていたらいつしか治っていたが、あながち歩行習慣がめっきり減ったことと無関係ではないのかもしれない。
 はたまたコロナ禍で外出が減ったり、もしかしたら自炊の頻度が増えて糖質制限食による筋力低下の影響なんかもあるのかもしれない。あくまでも推測の域を出ないけど。
 
 改めて東京砂漠は広大であるし、主たる移動手段は電車であるが、ひとたび電車を降りても目的地まではどこに行くにもまぁよく歩く
 歩けども歩けども新たな発見があって、大東京たるや改めて飽きが来ない珍妙な街である。
 
 
 「そば」と「うどん」…関西では圧倒的に「うどん」が根強い支持を集めており、確かに美味しいうどんは食べられるのだけど、関東に比べると気軽にふらっと入れる立ち食いそば屋さんが少ないことについては常々寂しく感じていたものである。
 関東に再び居を移してからというもの、ランチと言えばそば屋ばかり利用している。富士そばの紅ショウガ鶏天丼も実にジャンクな味わいで美味しいではないの。これこれ…この濃い甘辛味付けと安価で適当にかき込める感じ、いち関東出身者としては愛着を覚える所以である。
 
 コロナ状況も最悪の時期を脱して徐々に和らいできているとともに、外食産業も活況を取り戻しつつあるようだ。自転車に乗ってご近所のお店巡りにも精が出るというものである。
 
 
 御茶ノ水で中古レコードなぞを掘りに出かけがてら、久しぶりに御茶ノ水が誇る名店エチオピアのカレーを頂いたり。エチオピアと言えば0~70辛からお好みの辛さを選択できるシステムでおなじみだが、自分などは3~5辛くらいが何とか美味しく頂ける辛さなのだった。というわけでこの日はチキンカレーの3辛を所望、沁み渡ったね。壁にはJBとMarvin Gayeに挟まれてNirvanaの『Nevermind Sessions』LP(ブ―ト?)。
 

 
 去る9月には、原宿のKit Galleryで開催されていたTim Kerr画展『POWER TO THE PEOPLE -YOUR NAME HERE』に仕事帰りに寄っていた。
 
 
 Tim Kerrが80年代にメンバーの一員としてギターをかき鳴らしていたBig Boysと言えば、自分もかつて胸を焦がした大好きなテキサス産スケート・パンクバンドである。
 シンプルでカラフルなイラスト作品には、T. Kerrのオープン&ポジティブがあふれていたし、Gil scott-heron、Sun Ra、Curtis MayfieldNina Simoneなど彼のジャズ・ファンクへのリスペクトを改めて確認できた。はたまたその中にあってDaniel Higgs(Lungfish)の顔を見つけられたりもして。
 

 

 
 会場内では、何とTim Kerr自らがギターを演奏する、アコースティックユニット=Up Around the Sunのライブが披露された。シンプルで親密な彼らの音楽は、再び都会に舞い戻って…何となく拠り所拠り所のない自分の気持ちをしばしふわっと軽くしてくれた。まさかT. Kerrの現在をこうして生で聴けるとは思わなかった。
 

 

T:ただ楽しめばいい。やりたいことをやれ。みんな自分を表現するべきだ。自分なりのやり方で、人のマネをせず絵を描き、誰のマネもせずに滑ればいい。自分のやり方でいい。それで楽しいと思えればいいんだよ。笑顔になれたら最高じゃないか。

 

 

 というわけで久しぶりにBig Boys『Wreck Collection』(2002年)を。
 

 

 テキサス州オースティンのBig Boysの活動期は1979~1984年のわずか5年間だけだったようで。『Wreck Collection』は活動終了後の88年にリリースされたシングルやライブ音源の編集盤であり、自分の手元にあるのは、Gern Blandstenから突如として2002年にリイシューされた2LPだ。
 軽みをもってカラっと疾走するスケートパンクは、独特のユーモアや歪つさが感じられて愛さずにはいられない。ホーンアレンジやギターカッティング多用のファンキーなナンバーもまた彼ら独自の大きな魅力である。
 
 今でこそ、個人的にはオンタイムである90'sの某RHCPとかRancidとか…自由なオルタナティヴ&コアハードコアシーンの萌芽はありえなかったんじゃないかしら? なんて。
 
・Big Boys - Funk Off

 

People always getting stopped for stepping out of bounds
Don't give up just get back in and go another round
Don't give them what they expect, keep them on their toes
There's many things that we can do, here we go

 
 かつてそれ以前には1993年にTouch And Goよりリリースの『The Fat Elvis』と『The Skinny Elvis』の2枚の編集盤CDをこよなく愛聴していたものである。
 
 
 彼らのレコードやフライヤーには、彼らメンバー自身の手によるイラストやコラージュアートが施されており、これがまた愛くるしくて大好きであった。
 当時のアメリカ郊外のDIYスケートカルチャーの匂いもプンプン匂ってくるようである。
 

 
 Tim Kerrのアートも正にそんな渦中から生まれたのだろう。Big Boysの音楽、特にTimm Kerrのギターにはファンクのルーツも色濃く、そこがひと際異才を放っており、重複するけど、今回の画展でも改めて彼のジャズ・ファンク愛がひしひしと感じられ嬉しくなったものである。

 

 ありがたいことに関東でもぽつぽつライブのお誘いを頂きつつある。関東は12/2には益子のとある民家で初シンセソロ、12/16に阿佐ヶ谷ハーネスでソロ、1/13に横浜日ノ出町試聴室その3でソロが決まっている。関西ではバンドで1/5に喫茶ゆすらご、1/7に音凪酒場で、こちらはレコ発も兼ねて、ということになりそうである。
 バンドでの新作も無事リリースに漕ぎ着けられたことやし、すっかりコロナで重たくなってしまった腰もそろそろ上げたいところだ。ぼちぼち新しい曲も作りたいしね。

 I Can’t Forget About You Baby

 

 ずいぶん長い間更新が途絶えてしまった。久しぶりにこうしてBlogを開いてみたのも、実に2か月ぶりのことである。
 
 実のところ、今年の私の夏は怒涛の如く過ぎ去って行ったのだった。日々目の前に押し寄せる変化の波と向き合うだけでいっぱいいっぱいで、とてもじゃないけど、ゆっくり近況を振り返る余裕などは、時間的にも心的にも一切なかったのだった(大げさでもなんでもなく)。
 
 この夏に突然東京への引っ越しが決まった。

 7月末日のこと、東京本社の社長が突然単身京都へやって来て突然今回の「異動」のお話を頂いた。まさに晴天の霹靂という他ない。

 縁あって京都で暮らすことになり、この10月で干支がちょうどひと回りした年のことである。当人にしてみれば何とも急な話であるが、社長の心中では以前より10年一区切りで考えられていたようで、とは言え折からのコロナ禍もあり、このタイミングとなったとの由である。

 いわゆる「内示」であり、しかも3週間後の異動とのことで…これこそが独身サラリーマンの辛さというやつだろう。思い返せば東日本大震災に見舞われた2011年秋に、かの地京都への転勤もが決まったのもまた急展開であった。そして今や京都は、自分にとって(未だになじめないまでも)十二分に愛着ある土地となって、もはや人生において掛け替えない友人も沢山増えたころ合いでありにも恵まれたりして。もちろんそんな京都の地を離れるのは断腸の思いであるのだが、どこかでこのタイミングでの新しい変化を受け入れている自分もいる。

 

 ちなみに遅れて遅れて来た新人と私との折り合いの悪さは先述の通りであり、すでに本社の知るところでもあった(蕁麻疹の発症は言ってないけど)。元はと言えば、お得意先の紹介によるいわば「天下り人材」であり、もしも邪推するならば、その辺りの事情も今回の人事采配に影響した可能性も否めないのだが…何とその後、私の転勤が決定した直後に、彼女はあっさりと職場を去ることになってしまった。

 「セキュリティ上、南部の危険地区の立地で施工業者が行き来する建物で、男性不在の中ひとりで勤務することは当初条件と食い違うので、テレワークをさせてほしい」というのが彼女の(偏見と身勝手さに満ちた)言い分であった。

 結局会社との話し合いの中で条件が折り合わず、その日を境に彼女が職場に現れることは2度となくなった(社長も飲む気がなかったというのが正直なところである)。

 会社にとってもトンデモな存在であることが徐々に浸透~認知されてのことであるので、京都に残してきた信頼すべきスタッフの心労負担も考えると不安は払拭された、とも言えるが、何とも後味の悪さは残る。

 台風のようにやってきては搔き回すだけ搔き回して去っていかれた形であり、ただただ呆然である。何よりこの数か月の苦悩は一体何だったのだろうか? 単純に世の中には実際にこんな人もいるんだと知った。

 

 

 そして次なる新天地は何となく墨田区にしてみた。

 新居については現地に赴く時間も取れないままに、不動産のはからいでFaceTime経由での内見となった。引っ越し業者も決めて段ボールが入ってからは常にToDoリストがオーバーフローを起こしており、正に怒涛過ぎて何も考える暇がなかった。そんな中にあってもわざわざ梱包や清掃等のヘルプを快く買って出てくれたバンドメンバーには、感謝してもし切れないものがある。ひとりでは精神的にも肉体的にも定められた引っ越し期日には到底間に合わなかっただろう。

 成り行き任せで移り住んだ京都の12年間では、本当に思いもよらなかった出逢いや思い出に恵まれて、周囲の寛容な友人たちには本当に感謝しかない。

 

 レコードは京都の老舗Workshop Recordに出張買取に来て頂いて、2~300枚程度を手放した。古書についてはこれを機にあまり手元には残さないことに決めた。近年あまり開かなかった本も少なくなく、それならば是非とも京都の若い学生さんやバンドマンに手に取ってほしい、などと考えたためである。友人で古本屋業を営んでおり、この秋冬に独立して新店舗を構える予定の佐光氏に頼んで、これまた出張買取をお願いしたのだった。職場で丹精込めて育てた植物のうち背丈の高い鉢植えは喫茶ゆすらごに引き取ってもらえることとなった。

 こうして自分の身が京都を離れても、自分の残滓が色々な思い出とともにあちこちで生き続けてくれる(ような気がする)ことは何だか嬉しいことなのだった。

 

 

 本来なら各方面に対してゆっくり挨拶もしたかったけど、そんな感傷的なお別れとは無縁に夜逃げさながらにバタバタっと東京の地へと移住することとなってしまった。実際それなりの時間を与えられてゆっくり物事を考えたり、お別れの挨拶の機会を作ったりしてたら、いよいよこうして京都を離れることができなかったかもしれない。

 

 そして慣れない職場で新しい形で仕事をしながらも、積み上がった荷物も片付いて…ようやく落ち着き始めたのが、9月も半ばに差し掛かったここ1~2週間という感じである。

 その間にもMOON FACE BOYSの2nd アルバム『VAMOSU』が前回に引き続きSweet Dreams Pressからリリース頂いたり、まっつん氏が盆休み前日の仕事中突然のケガに見舞われるなどのアクシデントもあった(当初両手にぐるぐる巻きであった包帯も幸い現在は取れた)

 リリースのタイミングでライブ興行も打ちたかったけど、当面ままならない状況となってしまってレーベルにも申し訳ない限りである。なかなか思い通りには運ばないのが人生である(特に自分の場合)。

 

sweetdreamspress.com

 

 どうせならせっかくなので、この秋は東京の下町の裏路地散策にでも勤しみたい、とばかりについ先週、地元区立図書館の利用カードを申請したり向島百花園年パスを取得したり、などしてみたばかりである。

 

 Phyllis Dillon『One Life To Live』(1972年)。

 ぐるぐる頭が回って拠り所のない逆境下にあっても…Duke Reid(Treasure Isle)プロデュースによるジャマイカプレス盤のかような太っといロックステディを嗜んでは、何とか前向きさを保てている昨今である。どこを切っても最高なゴキゲン盤である。

 

 

 少しくレコードを手放して気持ち的にも若干すっきりしたものの、ところ変われば、まだまだ未知なるレコードを新居へと招き入れてしまうのだろう。ちなみにこちらも多分に漏れず、新宿の某セコハン店で入手したばかりである。

 

・Phyllis Dillon - I Can’t Forget About You Baby

 

We met, we loved, we laughed, we cried
You went away, and my love should have died
But I still feel myself holding your hands
And laughing at the little things that most folks don't understand

 

 こうして縺れに縺れまくったままの新生活がスタートしたわけで(「北の国から」風)。

 どうせ自分ごときなるようにしかならん、とは腹を括りつつも…はてさて諸々どうなりますやら。

 

 

Anyway The Wind Blows

 

 去る週末は徳島のバンドにお呼ばれして徳島遠征をして来た。

 個人的にも徳島県は初めて訪れる土地であり、事前にSDP福田氏に教えて頂いたYouTubeチャンネル「ピエール瀧 YOUR RECOMMENDATIONS」のシリーズ徳島編をチェックしては、やや鼻息荒くあれやこれやと彼の地に想いを馳せていた。…がしかし、現実にはそうゆっくり観光やグルメにばかり興じていられないのが演奏旅行の辛いところである。何よりもメインは他ならぬ「演奏」であるからして。

 
 というわけで今回は、前日より前乗りにて現地入りした我々だったのだが。初日のみカメラマンとして光永氏(グラタンカーニバル)を帯同して、途中淡路島でビーチに寄ってはフォトシューティングに興じたり(バンド写真用途にて)、結局いざ徳島に上陸しても現地でスタジオリハに入ることになっちゃったりして…結局は何やかやと慌ただしくなってしまった。
 

 

 とは言え、いざクラシックな民宿にチェックインして身辺落ち着いてしまえば、後は昭和風情の色濃く残る中心街をぶらっと散歩したり、四国の美味しい魚介メニューや地酒に舌鼓を打つなど、しばし一ツーリストとして現地の空気を吸い込むことが叶ったのだった。
 
 週末の駅前の立地とあってか、直前の予約を試みるも時すでに遅し…近所の名店と誉れ高いお店は軒並み予約満席であったが、投宿先の旅館のベテラン女将にオススメ店をヒアリングしてみたところ、「銀乃介」なるお店を教えて頂いて無事前打ち上げへと漕ぎ着けたのだった。
 果たして「銀乃介」はまごうことなき良店であり、地産メニューはいずれも大変美味しくしばし舌鼓を打ったのだった。正直その外観はと言えば、昨今全国のチェーン店でもありがちな和モダン居酒屋の佇まいそのもので、正直入店前には一瞬ひるんだものの、よくよく見れば内装は古き良き昭和の名残ありありで、おそらくは外装を中心にリノベーションされた店舗なのだろう。
 とにかくさすが老練女将のオススメとあって、出てくるお酒も料理も抜群の新鮮さであった。
 

 
 突き出しのマスに盛られたもずく酢のお出汁加減からひと味違う…お刺身が、ワカメが…ことごとく新鮮さが違うではないか。特に炙り〆サバとか口の中で溶けるようで、普段頂いているものとはちょっと別次元の逸品であった。練り物(フィッシュカツ)ですらも素材の味が濃厚で驚いた(名物であるらしい)。これが瀬戸内海と日本海の恵まれた漁場のなせる技かと唸ってしまった次第である。
 
 はたまた魚介のみならず、蒸したなると金時も糖度が桁違いに強かったし、阿波尾鶏なる地鶏料理も地元名物とあって、筋肉質な引き締まった身が独特の美味さであった。そしてそれらと一緒に頂く芋焼酎(鳴門金時、黒眉山のふくよかな香りがまた旅人の臓腑に染み渡ることと言ったら。はたまた生搾りにてすだち酎ハイで時折お口の中をさっぱりさせたりして。
 宿へ戻って飲み直すもいと楽し。ドライバーのまっつん氏は入浴するや即寝成仏…運転お疲れ様でした。
 

 

 徳島駅近くには居酒屋がなかなか乱立しており、そのしのぎの削り合いっぷりからすると、界隈のクオリティーコスパも自然と底上げされてきた歴史があるのかもしれない、なんて。
 
 かくして翌日は「YOUR RECOMMENDATIONS」で事前チェックした、ひょうたん島クルーズに興じてみた。YouTubeアップからこの数年の間に乗船料に+100円の値上げがあったようで→400円に上がっていたが、それでもお安い。
 ボートに乗船して30分弱をかけて複数本の川に囲まれたひょうたん型の中心街を横目に周遊できるという、これまた自分たちのような一見客には持ってこいのお手軽なサービスであった。
 

 
 初めてのbar txalaparta(チャラパルタ)へ。カメ氏はタートル山以来2度目の来訪だそうである。お酒の種類も豊富なバー・スタイルのライブスペース、クラブ仕様である。お酒も種類が豊富で美味しくて、ここでもご当地名物のかぼすサワーをおかわりさせて頂いたり。何よりも個人的にもお気に入りのFender社製の名器Twin Reverbが常設されている点も実に好印象であった。
 バンド毎にリハ後→即ライブに移るという独特の進行は、コロナ禍以降に編み出された苦肉の策だったそうである。地方のライブスペースも各々に生き残りをかけて、水面下であれやこれや独自に工夫し続けていたことを目の当たりにしては思わずぐっときてしまった。
 
 機材搬入時に地下への階段を降りて扉を開けるや、ちょうど本日のホストであるヒルコサウンドチェックを行なっていた。…と言ってもお会いするのはこの日が初めて。お顔も年齢も知らなかったのだが、全員20代のうら若き青年たちによる3ピース編成のバンドであった。
 かくしてこの日初めてライブで聴けたヒルコは、実に無骨で硬派な印象が好感大なバンドだった。堀部氏の決して派手に歌い上げずに、内向きに込めるようなボーカルとギタースタイルにも勝手ながらどこか共感と感銘を受けた。淡々と寄り添う長町氏とくろいぬ氏によるリズム・バッキングも堅実さを感じさせ、その清潔感には大変ぐっとくるものあり。…だけどいわゆるストイックなそれとは違って、むしろ肩肘張らないユルっとした温度感がまた、個人的に好みである。
 

 
 在りし日の90年代ギターバンド最良の、思わず胸の奥がじんわり焦げるようなフィーリングを感じつつ、かように自然体で独自の誠実さが凛と伝わる音楽を演奏するバンドに今回お呼び頂いたことは光栄の至りである。
 
 共演のムーンサイドホテルは地元の大学生による大所帯バンド、ローファイ・サイケな感じが少しNeutral Milk Hotel辺りを思い出したりして。やはりヒルコの地元の大学の先輩に当たるザキヤマヘイコー氏は、ガットギターをルーパーに通したテクニカルでエンタテインメントなソロプレイがさすがの安定感で、ぐっと場の中後半を頼もしく引き締めてくれていた(当日は兵庫での仕事を終えてわざわざ駆けつけられたとか)。
 出演バンドだけなくお客さんも、地元の現役大学生及びOBが多かったようで客層もぐっと若い印象だったこともあり、おそらく年長者の我々としては…おかげ様でしばしキラキラ気分に包まれたのだった。
 

 
 Moon Face Boysは、今回初めて合わせた新曲を2曲初披露させて頂いた。全曲初めて聴くお客様ばかりであることは承知しているものの、そこは現在進行形のバンドとしての意地なのかもしれない。結果なけなしのフレッシュさを打ち出せたら幸いである…なんて。
 
 ヒルコはもちろんのこと、チャラパルタのスタッフ、現地の温かいお客様のおかげで初めての徳島遠征を実に楽しんで終えることができて感謝至極である。この場を借りて素晴らしい機会を頂いてありがとうございました。
 9月リリース予定の新アルバムが完成したら、是非ともまた徳島の地にも戻って来たいものだ。そしてこういったありがたい縁故をこそ大事にして、次の新しい活動にも積極的に着手していきたい所存である。
 
 J.J. Cale『Okie』(1974年)でも。
 短い週末旅から帰京して洗濯を終えたところで一息ついて、ゆるり聴きたくなり手に取ったレコードはというと…やっぱりJ.J. Caleであった。
 

 
 J.J. Caleのボソボソしたボーカルスタイル、指弾きの独特の丸みあるアタック音、シンプルな楽曲群、この独特のぬるま湯温度…やっぱり自分好みである。
 同じく敬愛するMichael Hurleyじゃないけど、どうせ似たような雰囲気の曲や演奏が並んでいるのが分かっているにも関わらず、つい持っていない作品を見つけるや気が付くと購入してしまっている。不思議な魅力を持つシンガー/ギタリストであり、例えば自分などはVelvet UndergroundやSuicide辺りにも地続きであるかのような魅力を感じてしまうのだ。
 
 こちら3作目『Okie』は、1st作『Naturally』(1971年)などと同じく愛聴盤であるが、一方内容は対照的と言うか、『Okie』の方がより軽妙でサラッと流し聴ける心地良さがある。
 それこそこのうだるように蒸し暑い気候においては、ことさら重宝するところである。肩の力が抜けた軽みある演奏って実際には難しいもので、意外と誰にでも出来るものではない。
 
・J.J. Cale - Anyway The Wind Blows


Some like this and some like that
And some don't know where it's at
If you don't get loose, if you don't groove
Well, your motor won't make it and your motor won't move
 
・J.J. Cale - Okie

 
 例によって1曲当たり約2分、全編でも30分程度の作品なので、あっという間に聴き終わってしまうのが常である。A面1曲目のおおよそオープニングらしからぬ? ゆったりしたレゲエなミッド・ナンバー「Crying」から心奪われたまま「Rock and Roll Records」、「The Old Man and Me」…地味ながらも捨て曲が見当たらないまま片面はあっけなく終わってしまうのだが、アルバムB面〜終盤の流れもまた個人的にお気に入りだ。
 B面はまず名曲「Cajun Moon」から始まって、Tom Pettyがカバー「I'd Like To Love You Baby」、ラストにはビーフハートもカバーした「(I Got The)Same Old Blues」で例によってとりとめもなく閉幕する1枚。とりわけ個人的には、「Precious Memories」〜「Anyway The Wind Blows」〜そしてグッド・インストナンバー「Okie」への流れなど特に好みである。
 ますます湿度の高まりつつある京都の盆地の1室で冷房をかけながら、かつてナッシュヴィルとタルサで録音されたこの南部産のグルーヴに無心で身を委ねるひと時もまた一興である。
 
 一方2005年ドキュメンタリー映像では動くJ.J. Caleが存分に堪能できる(いわゆる派手なステージ・アクト的な動きにはもちろん乏しいのだが)。
 晩年いぶし銀のステージが沁みるじゃないの。クタクタのTシャツ、Danelectro社のセミアコ、右手首のしなやかなスナップ…全てがパーフェクトに思える。
 そして個人的な見どころはホーム・オクラホマの広場での(何と)ソロ・バスキングと、そして何と言ってもスタジオでアコギ1本で弾かれる「Drifters Wife」、「Old St. Louie」の味わいがタマらない。
 
・J.J. Cale - To Tulsa and Back On Tour with 

 
 2013年没の御大が生前晩年に録音した音源が、つい2019年になってリリースされた遺作アルバム『Stay Around』。同作収録のタイトル・ナンバー「Stay Around」のビデオも旅情あふれるアニメーションが何とも美しくてしばしば観賞したりもしている。
 J.J. Caleにしてはいささか洗練されすぎな感も否めないけど、その本質はあくまでも普遍的である。こちら含めて晩年のアルバムは、実はまだあまり通しては聴いたことがない作品ばかりなので、改めてちゃんと聴いてみたいものだ。
 
・J.J. Cale - Stay Around

 
 梅雨明けの爽やかに晴れ渡った青空が恋しいけれど、今しばらくは低空飛行でやり過ごすしかあるまい。
 この年になっても相変わらず自分の至らない点も多くて辟易することしばしばである。はたまた思い通りには進まないことも少なくないけど…たまには徳島で過ごした夜のような嬉しいギフトが待っていると思えばこそ、もう少しだけ顔を上げて歩けそうな気がしている。
 
Easy come, easy go
Any way the wind blows...
 



Bullet Train to Vegas

 
 ここ京都も気温と湿度がぐんぐん上昇しては、いよいよ蒸し上がりつつある。
 

 件の職場で噛み合わない新人の方なのだが、その後も歩み寄りはなく平行線を辿っている。とは言え毎朝顔を合わさないわけにはいかないのだから、お互いにストレスを感じない範囲で気長に共存し合えれば、と考える方向にシフトしてきた。

 
 ここ最近になって、彼女はいわゆる「アスペルガー症候群(現:自閉スペクトラム症ASD))」なんじゃないか? とふと思い当たって色々調べていくうちに…これはいよいよ間違いないんじゃないか、と(勝手ながら)確信に近づきつつある。グレーゾーンであっても、ASDに限らず発達障害症例と一致する言動は少なくないように思われる。
 

 
 もちろん当方専門医でもないのに不用意な断定はできないが、「自分のこだわりを曲げない、ルールや予定外対応を嫌う、周囲の空気や気持ちが読めない、独り言が多い(声が大きくなる)」等々…。そう考えれば様々な点で合点もいくし、尊大な振る舞いも大目に見ることができる。がしかし、いかんせん他人様に対して勝手に決めつけるわけにもいかず…そうだとしてどう対峙するのか? 極めてナイーヴな問題である。かと言って解決策が見つかるでもなく、引き続き悶々とする日々なのであった。
 
 自分のルールに対して絶対の自信を持っておりそれを押し通そうとするが、そこに他者に対する思いやりや想像力といったものが致命的に欠如しているように感じてしまう…いわゆる独りよがりな学級委員長タイプとでも言うのか。
 会話するや必ず上から目線の内容で返されたり、そこはかとない嫌味が入り込んだり、でいちいちモヤっとするのが後味悪くて、会話は自然と減っている現状である。別に無視するわけじゃないけど、こちらから話しかけても梨のつぶての返事であるし、業務外であちらから話しかけてくることは皆無につき(警戒されてる節もある)、このような状況が必然となってしまう。
 そうなれば朝夕の挨拶しかない日も少なくなく、こちらの精神的にもなかなか辛いものがあるのだが、先方は特に気にしていないご様子。落ち着きがない傾向もあり、だんだん独り言が大きくなるなど…周囲の集中力の妨げとなっていることにも本人は至って自覚がないようだ。
 
 これは決して発達障害自体の是非を問うものではない(もちろん非があろう筈もない)。むしろ自分だって社会性が欠如している部分があることは自覚しないではないし、周囲の友人知人にあってもグレーゾーン(ないし)である人は決して少なくない。つまり誰でも当てはまる可能性があるのだが、問題はそれによって生じる周囲との現実的な摩擦と、その実際の問題に対しての対処方法である。
 
 発達障害そのものは先天的なものが今や一般的であるそうで、それによって社会性の面で生きづらい思いをしている当事者が排除されるべき社会であってはいけない。
 ただしもし同僚が発達障害なのであれば、まずは一緒に働く環境上、上記を前提に社会や組織としてもしかるべき専門的な理解や接し方(=受け皿)が用意できるか、が課題であると思うのだ。でないと本人よりもまず周囲が戸惑ったり疲弊してしまう(実際に職場や家族等、周囲がストレスで疲弊してPTSD等を発症してしまう「カサンドラ症候群」なる症例もASDと併せて一般的に知られているそうだ)。
 かく言う自分こそまだまだ知識が足りず、これを機に外来種とのフラットな共存の可能性を色々と勉強中である。
 
 
 わざわざ雨の中、喫茶ゆすらごより美味しいパンを拙宅まで直送にてお裾分け頂いてしまった。
 なるべく今晩食べてほしい、との由であったが、あいにく夕食をとり終えたタイミングだったので、翌朝早速プレーンのままで頂いてみた。外見は焼き色もキレイで香ばしい薫りがする。硬すぎないフワッと感もよくてツンツンしたくなる。果たして中身を割るともちっとしており、発酵の味わいだろうか? ほのかな酸味も贅沢に鼻を抜けるのだった。
 

 
 翌日は表面を炙ってチーズをオンしてコーヒーと頂いたり、はたまた職場のランチにと、サンドイッチにして弁当として持参したり。ついでに冷蔵庫に眠っていた、いつ買ったのか不明のシュレッダーチーズも使い切ることができた。
 お天気はぐずぐずと雨続きな週だったけど、おかげ様で贅沢気分な週頭を迎えることができたのだった。
 



 Drive Like Jehu『S/T』(1992年)でも久しぶりに。
 今年も訃報続きであるが、何とこの度Drive Like Jehu、PitchforkやHot Snakes等のフロントマン=Rick Frobergの早すぎる死が報じられた。何と享年55歳であったそうだ。John Reisのポストによると「自然死」とのこと。
 

 
・Drive Like Jehu - Caress

 
 『Yank Crime』(1994年)も甲乙つけ難いけど、やっぱり初めて聴いたこちら1st作の思い入れが個人的には特に強い(聴いた回数的にも)。
 今もって改めて血湧き肉躍る快作である。久しぶりに聴いてみるに、昨今のくさくさした気分も一発で吹き飛んでしまうような…こういう時はやっぱり無心でパンクを浴びるが吉なのである。
 ついでに学生時代に授業をさぼって池袋の某レコファンで中古盤を入手した記憶がありありと蘇ってきたりして…一聴ベタ惚れで当時毎日聴いてたな。池袋に某D.ユニオンができる前夜の話である。同級の学徒諸君は皆ココナッツ・ディスクに通ったりバイトしたりしていたものだ(遠い目)。
 
 Drive Like Jehuは、Rick Froberg と 盟友John ”Speed” Reisの、神経症的に湾曲したりひしゃげたりしながら猛進する金属的なツインギターせめぎ合いが、最高に大好きなポスト・ハードコアバンド筆頭であった。ブレイク時のMike Kennedyのベースのフィルインの緊張感も醍醐味やし、今やプロデューサーでもおなじみMark Trombinoのザラっとマットな質感のドラムもまたお渋い。
 
・Drive Like Jehu - Bullet Train to Vegas

 

We'll ride the bullet train to Vegas
The minute that we blow this burg
Just as far as it'll take us
Pay the man and ride the turd
Sopping wet, stinking drunk
 
 そして1stアルバムと同時期発のこの名作シングルにも大いにぶっ飛ばされたのだった。
 ちなみにこの曲を初めて聴いたのは、90年代末リリース時に購入した米サンタモニカのレーベルCrank! 発の傑作コンピ『(Don't Forget To) Breathe』(1997年)収録の音源であった、ちょっと性急目な演奏のデモかライブ録音だったと思う…あな懐かしみ。
 

 

・Drive Like Jehu - Live at Balboa Park in San Diego 8/31/2014

 
 2014年に地元サンディエゴのバルボアパークで開催された、19年ぶり1度きりの再結成ライブの映像記録を(遅ればせながら)この度初めて拝見するにつけて、そのあまりの格好良さに思わず爆笑しながら失禁しかけた次第である。後半J. Reisのダウンチューニングの下りとか痺れ上がってしまう。
 DLJ解体後も、常にいずれかのバンドで現役でプレイし続けて来た彼らにブランク等感じるはずもなく、老いて更にコクが増した演奏が実に滋味深くて素晴らしいこと。
 オルガン奏者の客演に加えて、何と地元の後進パンクス=Rob Crow(Pinback, Heavy Vegetable etc...)がスーツ着用にて束の間スクリーム客演する姿にも思わず胸熱くさせられる。
 2000年くらいに実際に観たTristezaとかAt the drive in(はエルパソやけど)のライブとかやっぱり頭抜けてた。サンディエゴ・パンク特有のねっとり捻くれたソウルは確実に後進に継承されている…ような気がする。
 

R.I.P. Rick Froberg

【LIVE】MOON FACE BOY2 2023年8月27日(日)@喫茶ゆすらご(京都)

 

"Xu Shaoyang Japan Tour 2023 in Kyoto"

8月27日(日) @喫茶ゆすらご

Xu Shaoyang (from London)
Kenji Aiko Chie
Moon Face Boy2 (Kei Mattsun) ※w/o Kame

15:00 open, 16:00 start

¥2,000 +1 drink order

(要ご予約、お問合せ→)footfootk@gmail.com

 

※ご予約はメールにて、お名前、希望人数を明記下さい

 (キャパシティの都合上、予約者数によっては当日券は出せません。なるべく事前のご予約をおすすめいたします)

※マチネー開催となりますので、開演時間にご注意下さい

※お子様のご来場も歓迎いたします

※ No smoking Please(場内禁煙)

※Moon Face Boy2にはカメイナホコ氏は不参加です

 

 久しぶりに京都随一の緑一色空間=喫茶ゆすらごにて、ささやかな演奏会を催す運びとなりました。

 現在ロンドン在住のXu Shaoyang氏を主賓にお迎えして。Xu(シュウ)氏はかつて日本にも居住していた時期があり、自身のソロ演奏やMaher Shalal Hash Bazに参加する等の活動を通して、様々な日本のミュージシャンとの親交を深めました。

 その中でも今回は、Xu氏たってのラブ・コールもあり、京都在住の健司、愛子夫妻が近年注力しているプロジェクト=健司愛子千恵にもご共演頂きます。

 当日はきっと2世帯のご家族及びまだ幼いお子さん方も来場されては、盛夏の喫茶ゆすらごの空間をアットホームに賑わせてくれることでしょう。

 是非とも夏の陽が溶け落ちるひと時に照射するだろう、かけがえのないライブ・ミュージックの一瞬一瞬の機微を、喫茶ゆすらごの誇る絶品夏メニューと一緒に観測しようではありませんか?

 

・許 紹揚(Xu Shaoyang)

singer / composer /multi-instrumentalist

b. 1979 hong kong

xu focuses on the live performance aspect of music, song-writing, arrangement, and re-arrangements by way of improvisation.

after years in canada, japan, and scandinavia, xu currently resides in london, england.

 

・健司愛子千恵(Kenji Aiko Chie)


Do Nothing 

 
 相変わらずストーミーで、身体が重い日が続いている。早く梅雨が明けないものだろうか? 
 
 まっつん氏と2人でスタジオインした後に車を転がして洛中デートへと繰り出すこととなった。喫茶ゆすらご〜グランピエ丁子屋 で開催中の喜多村朋太の器展(popo)〜ほんとレコードを梯子してきた。
 
 ゆすらごのかき氷を頂いたり。爽やかな冷たさがマスクメロンの果肉入りシロップも相まって甘露である。8月27日にはゆすらごを会場に実に久しぶりに自主企画を催す運びに相なった。

 

 
 グランピエではキタさん氏の新作展示を楽しんできた。お土産にと手頃な湯呑みと茶碗を見繕って帰ってきた。湯呑みは以前展示で入手したものを愛用していたのだが、数年前にふとした時に落として割ってしまったのである。このプレーンながらも味わいのある形状と肌艶がたまらない。何とも飽きのこない使い勝手の良い実用的な品揃いである。
 キタさん氏作の茶碗に注がれた冷たいほうじ茶と、お茶受けの落雁を頂いて新作のことや近況を伺ったりするなど。展示は今週末まで、とのこと。
 

 

 
 ほんとレコードへはオーナー氏にビールのお土産を持参にて。我々の他にお客さんはおらず、ゆっくり談笑したり色々試聴させて頂いたり、ここ最近の個人的に傾倒しているスカ、ロックステディのオススメを聴かせて頂いたり。やはり何と言っても当時物の7インチで聴く音源がたまらないけど、そこそこお値段も張ってしまうため泣く泣く断念した。
 
 
 とは言え、まっつん氏ともども掘り出し物諸々をゲットできてホクホクなのだった。つくづくほんとレコードは良い品がお安く見つかる良店なのだった。
 
 冷凍食品であるが…そのクオリティの高さに開眼して以来、遂にこの度禁断の「とんかつ」にまで手を出すことになってしまった。自宅でもこんなに簡単に美味しく頂けるだなんて全く便利な時代である。揚げたてサクサクの揚げ物はそれだけで十分「美味し」なのである。料理人よろしくでザクザク包丁を入れる時の快感ね、お手軽な至福である。
 土曜日のお昼に揚げたてにウスターソースをダブダブ目にかけて芋焼酎水割りと頂いた。最近「とじないカツ丼」なる名前をよく目にする。食べたことはないけど、是非次回は自己流でトライしてみようかと思っている。
 

 
 The Specials『More Specials』(1980年)を。
 Key. 担当のJerry Dammersのプロデュースにより、ぐっとそのラウンジ趣味が反映されたと…昨年末にTerry Hallが亡くなった際のラジオの追悼特集でも紹介されていた2nd作。
 

 
 名曲だらけの1stも最高だけど、一方こちら2ndもリズムボックスを多用したりエキゾチックで立体的な音響もまた個人的には大変好みで愛聴している。
 白人と黒人の混色バンドであることでサウンドのバランスも絶妙に独特であるし、歌詞も含めて当時のパンクやレゲエやの流れも同時代的に汲んだUKルードボーイ・カルチャーの空気がプンプンである。
 そして何と言ってもTerry Hallのクールなボーカルの存在感、やっぱりこれに痺れてしまう。MVや映像を見ても無表情で動きに乏しいボーカル・スタイルがポスト・パンクでいとカッコ良きではないの。
 

 
 今さらながらSpecialsってこんなに格好いいバンドだったのだな…昨年末まで全然知らなかったよ。T. Hallのキャリアを追いかける形で、Fun Boy ThreeとかThe Colourfieldも素晴らしくて並行して楽しんでいる。…最もこの度追悼特集で初めてその格好良さに気が付くだなんて、全くモグリもいいところなのだけど。
 
The Specials - Do Nothing 

 
Each day I walk along this lonely street
Trying to find, find a future
New pair of shoes are on my feet
Cause fashion is my only culture
Nothing ever change, oh, no
 
The Specials - Stereotype

 
 とは言え勿論1stアルバム(1979年)は鉄壁のユース・アンセム揃いで1曲目からしてタマらない。Jerry Dammersの2トーンの鍵盤がお渋いし、Specialsの面々のお揃いのスーツは、(今さら自分などが言うまでもないけど)ビッと決まっている。…こりゃもう踊るしかなかろうて。
 
The Specials - A Message To You Rudy 

 

 
The Specials live in Japan 1980

 

 この『More Specials』が結果的にラスト・リリースだったことを考えると、同年夏の来日公演及びそのクリアーな映像記録もいかに貴重かに思える。しかも字幕付きである。単純にいちライブ・バンドとして実にカッコイイ(そればっかりだが…その言葉が似つかわしいのだ、実際)。
 
Enjoy yourself, it's later than you think
Enjoy yourself, while you're still in the pink
The years go by, as quickly as you wink
 
 新宿のカーニバルハウスでのジャパン・ツアー千秋楽であるせいか演奏も脂が乗っている。映像で見ると、改めて熱っぽいNeville StapleとクールなT. Hallのツインボーカルの陰陽コントラストも黄金バランスであるし、バックで静かに見守るようなRico Rodriguezのトロンボーンもいい味出しておりタマらない。T. Hallの白シャツのパンツイン・スタイルもなかなか堅気ではここまでサマにならないよってくらいよく似合っている。T. Hallってお洒落さんやったんやね。
 予定されていた中野サンプラザが「ダンス禁止」を食らってしまい、急遽会場がディスコへと変更されたそうで…アンコールの「Enjoy yourself」では当時80's 趣味な電飾がピカピカ点滅する中、ステージに招かれた若者たちがダンスに興じている姿が見える。
 
 1980年当時20歳で踊っていた若者も今や63歳か…。「it's later than you think」もさもありなん、ちょうどT. Hallも63歳の若さで鬼籍に入ってしまった。
 とは言え、こうしてSpecialsの格好良さに気が付くのに決して遅すぎることはないのである。
 
The Specials - Rat Race

 

Working for the rat race
You know you're wasting your time
Working for the rat race
You're no friend of mine

 

The Specials - Ghost Town


 
 Specials きってのお気に入り曲の大好きなMV2曲。
 いずれも当初オリジナル・アルバム未収録シングルである。その後「Rat Race」は即『More Specials』中の2曲目に堂々鎮座することになったらしく、多分に漏れず私の手元のLPにも収録されている。「Ghost Town」のシングルは前回のDJでもかけさせて頂いたり。
 
 え? もう金曜日? 命みぢかし…踊らにゃ損ソンのようで。