7月末日のこと、東京本社の社長が突然単身京都へやって来て突然今回の「異動」のお話を頂いた。 まさに晴天の霹靂という他ない。
縁あって京都で暮らすことになり、この10月で干支がちょうどひと回りした年のことである。 当人にしてみれば何とも急な話であるが、 社長の心中では以前より10年一区切りで考えられていたようで、 とは言え折からのコロナ禍もあり、 このタイミングとなったとの由である。
いわゆる「内示」であり、 しかも3週間後の異動とのことで…これこそが独身サラリーマンの辛さというやつだろう。 思い返せば東日本大震災 に見舞われた2011年秋に、かの地京都への転勤もが決まったのもまた急展開であった。そして今や京都は、自分にとって(未だになじめないまでも)十二分に愛着ある土地となって、 もはや人生において掛け替えない友人も沢山増えたころ合いでありにも恵まれたりして。もちろんそんな京都の地を離れるのは断腸の思いであるのだが、どこかでこのタイミングでの新しい変化を受け入れている自分もいる。
ちなみに遅れて遅れて来た新人と私との折り合いの悪さは先述の通りであ り、すでに本社の知るところでもあった(蕁麻疹の発症は言ってないけど)。元はと言えば、お得意先の紹介によるいわば「天下り 人材」であり、もしも邪推するならば、 その辺りの事情も今回の人事采配に影響した可能性も否めないのだ が…何とその後、私の転勤が決定した直後に、 彼女はあっさりと職場を去ることになってしまった。
「セキュリティ上、 南部の危険地区の立地で施工業者が行き来する建物で、 男性不在の中ひとりで勤務することは当初条件と食い違うので、 テレワークをさせてほしい」というのが彼女の(偏見と身勝手さに満ちた)言い分であった。
結局会社との話し合いの中で条件が折り合わず、 その日を境に彼女が職場に現れることは2度となくなった( 社長も飲む気がなかったというのが正直なところである)。
会社にとってもトンデモな存在であることが徐々に浸透~ 認知されてのことであるので、京都に 残してきた信頼すべきスタッフの心労負担も考えると不安は払拭された、 とも言えるが、何とも後味の悪さは残る。
台風のようにやってきては搔き回すだけ搔き回して去っていかれた 形であり、ただただ呆然である。 何よりこの数か月の苦悩は一体何だったのだろうか? 単純に世の中には実際にこんな人もいるんだと知った。
そして次なる新天地は何となく墨田区 にしてみた。
新居については現地に赴く時間も取れないままに、不動産のはからいでFaceTime 経由での内見となった。 引っ越し業者も決めて段ボールが入ってからは常にToDoリスト がオーバーフローを起こしており、 正に怒涛過ぎて何も考える暇がなかった。 そんな中にあってもわざわざ梱包や清掃等のヘルプを快く買って出 てくれたバンドメンバーには、感謝してもし切れないものがある。 ひとりでは精神的にも肉体的にも定められた引っ越し期日には到底 間に合わなかっただろう。
成り行き任せで移り住んだ京都の12年間では、本当に思いもよらなかった出逢いや思い出に恵まれて、周囲の寛容な友人たちには本当に感謝しかない。
レコードは京都の老舗Workshop Recordに出張買取に来て頂いて、2~ 300枚程度を手放した。古書についてはこれを機にあまり手元には残さないことに決めた。 近年あまり開かなかった本も少なくなく、 それならば是非とも京都の若い学生さんやバンドマンに手に取ってほしい、などと考えたためである。 友人で古本屋業を営んでおり、 この秋冬に独立して新店舗を構える予定の佐光氏に頼んで、 これまた出張買取をお願いしたのだった。職場で丹精込めて育てた植物のうち背丈の高い鉢植えは喫茶ゆすらごに引き取ってもらえることとなった。
こうして自分の身が京都を離れても、自分の残滓が色々な思い出とともにあちこちで生き続けてくれる(ような気がする)ことは何だか嬉しいことなのだった。
本来なら各方面に対してゆっくり挨拶もしたかったけど、 そんな感傷的なお別れとは無縁に夜逃げさながらにバタバタっと東京の地へと移住する こととなってしまった。実際それなりの時間を与えられてゆっくり物事を考えたり、お別れの挨拶の機会を作ったりしてたら、いよいよこうして京都を離れることができなかったかもしれない。
そして慣れない職場で新しい形で仕事をしながらも、 積み上がった荷物も片付いて…ようやく落ち着き始めたのが、 9月も半ばに差し掛かったここ1~2週間という感じである。
その間にもMOON FACE BOYSの2nd アルバム『VAMOSU』が前回に引き続きSweet Dreams Pressからリリース頂いたり、 まっつん氏が盆休み前日の仕事中突然のケガに見舞われるなどのア クシデントもあった(当初両手にぐるぐる巻きであった包帯も幸い現在は取れた) 。
リリースのタイミングでライブ興行も打ちたかったけど、当面ままならない状況となってしまってレーベルにも申し訳ない限りである。なかなか思い通りには運ばないのが人生である(特に自分の場合)。
sweetdreamspress.com
どうせならせっかくなので、 この秋は東京の下町の裏路地散策にでも勤しみたい、 とばかりについ先週、地元区立図書館の利用カードを申請したり向島百花園 の 年パスを取得したり、などしてみたばかりである。
Phyllis Dillon『One Life To Live』(1972年)。
ぐるぐる頭が回って拠り所のない逆境下にあっても…Duke Reid(Treasure Isle)プロデュースによるジャマイカ ・ プレス盤のかような太っといロックステディを嗜んでは、 何とか前向きさを保てている昨今である。どこを切っても最高なゴキゲン盤である。
少しくレコードを手放して気持ち的にも若干すっきりしたものの、 ところ変われば、 まだまだ未知なるレコードを新居へと招き入れてしまうのだろう。ちなみにこちらも多分に漏れず、新宿の某セコハン店で入手したばかりである。
・Phyllis Dillon - I Can’t Forget About You Baby
VIDEO
We met, we loved, we laughed, we cried You went away, and my love should have died But I still feel myself holding your hands And laughing at the little things that most folks don't understand
こうして縺れに縺れまくったままの新生活がスタートしたわけで(「北の国から 」風)。
どうせ自分ごときなるようにしかならん、とは腹を括りつつも…はてさて諸々どうなりますやら。