Midnight Train to Georgia
仕事が終わって帰宅して晩ご飯を作ると、創作意欲がある程度満たされてしまうことにふと気づいた。一日の終わりに小さな充実感に包まれるのはよいのだが、その代償にか新しい音楽を創作したい、といった欲があまり湧いてこないことに少々焦りを覚えている昨今である。
ここ最近では外界からの刺激も希薄なせいだろうか? すっかり内向きの自分が形成されつつある。これはこれで居心地も良いのであるが…ぷらっと見ず知らずの若いバンドでも聴きに出たい、ともなる。
今月は天候も不順であったり、わりと身辺が忙しかったりで気のせいかもしれない。いずれにせよ久しぶりのライブステージや、アルバム制作の仕上げも近づいているので華麗にギアを切り替えたいところである。
キャベツの塩もみ、切り干し大根とワカメのサラダ、冷麺風こんにゃく麺には自家製チャーシューを添えて、ブロッコリーとキノコ類の温野菜、ハモの落としはキュウリと和えて酢味噌なぞをかけてみた。酢味噌は若干甘みが足りなかったが、逆にこれまで市販のものが甘すぎたのかもしれない、とも。従来はハモも値段の割に特に美味しい魚とは思わなかったが、自分で湯引きし立てのものを頂くようになり、ようやくその美味しさに気が付いた。湯引き作業もやってみると簡単であるし。
引き続きあおるように某アマゾン・プライムに興じておりますが。
何の気なしに見た『イコライザー』(2014年)がもう衝撃の面白さだった。なめるように接近するカメラワークとその質感がとにかくキレキレなこともあり、オープニング・ショットから終始持っていかれっぱなしだった。
冷血無慈悲な兵役上がりの猛者がはびこる強大なロシアン・マフィアを一個人で敵に回す、など考えるのも嫌になり、実際その相次ぐ負の連鎖に思わず途中で息苦しくなってくるのだが…。だからこそ常に冷静沈着なデンゼル・ワシントン扮するロバート・マッコールの下す仕置人としての正確な天誅ぶりに思わずシビれっぱなしの2時間なのだった。
温厚な一市民として日常生活を送るデンゼル・ワシントンのライフ・スタイルもまたシブい。こざっぱりしたプレーンなシャツとニューバランスを愛用し、普段はホームセンターで正社員を勤めるが家族はなく、毎晩眠れずに本を一冊手にとってはおなじみのカフェに通っては夜更かしする日々。職場の仲間への面倒見もよく、周囲からの人望は厚い。彼らに過去の経歴を尋ねられるとGladys Knight & The Pipsのメンバー「P.I.P.」だったとダンスを踊って見せてはぐらかす、といったユーモアも持ち合わせる。そんな日常生活はマフィアの包囲網によってじわじわと脅かされていくのだが。
そして終盤(文字通り)手に汗握る深夜の攻防戦で突如流されるG. Knight & The Pipsの「Midnight Train to Georgia」のタイミングといい、何とも言えない場の空気といい…またぐっとくるものがある。血が苦手な向きにはあまりオススメしないが、明らかに凡百のクライム・アクションとは一線を画しているかと思う。
ということでGladys Knight & The Pips『Imagination』(1973年)を取り出しまして。
いつものレコード屋さんにて…Curtis Mayfieldプロデュース作の同じくG. Knight & The Pips『Claudine(O.S.T.)』(1974年)と併せて各200円で抜いてきたLPである。
グルービーな2曲目「I’ve Got to Use My Imagination」がまた最高にカッコイイのだが、それを除くと全体にゆったりミッド〜スロウテンポ中心のソウル・ナンバーが良きである。こういったスイート・ソウルにグッときてしまうだなんて、早くも秋の訪れを感じてしまい、夏好きの私としては淋しい限りだ。
自分などが今さら何も言うべくもないクラシックであるが、G. Knightの艶っぽい歌唱はもちろん、Brecker Brothersのホーン、タメの効いたドラミング、独特の弾みあるベースラインは個人的にも大いに好みである。
G. Knight & The Pips随一のヒットナンバー「Midnight Train to Georgia」は、L.A.で夢に破れた男性が故郷ジョージアにすごすごと帰る際に、どうかそれに付いて行きたい、といった女性の目線から歌われたナンバーである。
元々はシンガーであり作曲家のJim Weatherly作「Midnight Plane to Houston」(1972年)をカバー起用した曲で、「Plane」→「Train」に、「Houston」→「Georgia」、性別も反転させてそれぞれ書き換えられた経緯がある…とはインターネットで得たばかりのにわか知識であるが。
・Gladys Knight & The Pips - Midnight Train to Georgia
He's leaving
On that midnight train to Georgia
Said he's goin' back
To a simpler place and time
Oh yes he is
原曲と比べると、その素朴さは一気になりを潜めるものの、そこはかとなく残るカントリーテイストのいなたさがまた郷愁を誘うのかもしれない。…帰省も自粛要請されている今夏ですけど。J. Weatherlyとの共作曲は他にも少なくなく、実際に本アルバムの半分はJ. Weatherly作曲によるものだ。
・Jim Weatherly - Midnight Plane To Houston
ところで『イコライザー2』(2018年)もすでに上がっており、こちらも楽しみである。
Rome
こういうのたまに受信しちゃうね。
某イ○ンからやったり、佐○急便やったり…。今回は「やまと運輸」より受信。平仮名かとか。今となっては典型的なスキミング詐欺の手口かなんかなんでしょうけど、当初おぼこい私はイ○ンからのメールには危うく個人情報入れかけたよね。スマホとの認証でハネられて危うく難を逃れたけど。ご丁寧に3回もせっせと個人情報を打ち込んでいた。おぼこい皆様どうかお気をつけあそばせ。
昨夜はいつになくミニマルなアプローチを試してみようとふと思い立ち、ごくごくシンプルな食卓を目指してみた。色々混ぜ合わせないっていう、たったそれだけですが。
レンコンの塩きんぴら。黒鯛を酢と砂糖、昆布で浅く〆たの、ナスとシイタケを焼いて醤油とカツオ節したの、キャベツの塩もみ、ワカメ納豆というラインナップ。味付けもなるべくシンプルに塩と醤油を基調として。
結果的には素材の旨みが生きており、それなりの成果を収めた。ついつい余っていたタケノコや大葉を投入してしまう辺り、色気が出てしまったが…潔癖ではそれもそれで面白味がないではないか。本日もナスのパフォーマンスが最高である。シイタケとも良く合うこと。
土井善晴先生のおっしゃる「ええ加減でいい」「和えると混ぜるはちがう」「おいしくなくていい」なる名言の数々が実感を伴って沁み入る昨今である。
Horace Andy『In The Light』(1977年)。Horace Andyの男女とも児童ともつかないような中性的なファルセット・ボイスがたまらなく揺さぶられる。この陽気さと哀愁よ…永遠なれである。
この夏入手した1995年のUK再発盤であるが、個人的にはオリジナル盤のアートワークに断然軍配が上がってしまう。折しもMassive Attack『Blue Lines』(1991n)客演後のタイミングもあってのこのイメージなのかと勘ぐってしまう(ブリストル色というか)。このシンプルなルーツ・レゲエサウンドには何と言ってもオリジナルのアートが似つかわしいようである。
しかも手元の盤には、B面最終曲「Rome」上にプレスミスによるニキビが付着しており、残念ながら音飛びしてしまうのであるが、おかげで店頭で付いた値札1,200円から→500円にまけて頂いて入手した経緯もあるのであまり文句も言えまい。作品最後を飾る名曲「Rome」にノイズが乗るのは残念ではあるものの…何よりオーナーである私もまたノイズだらけのキズもの人間ではないか。
とはいえ内容は至上の出来栄えであり、Augustas Pabloの涼やかなブローはじめRockers All Starsのキレとコクあるサポートも言うことなしである。
こちらのアルバム収録曲をPrince Jammyがダブ処理した『In The Light Dub』も合わせ鏡のようで、そのコールド感がまたこの季節にひんやりシビれるでないの。
・Horace Andy - Rome
Where the air is fresh and clear,
From all these polluted cities.
Yes I want to go and live,
Where the air is fresh and clear.
From all these polluted cities.
Yes I want to go and live,
Where the air is fresh and clear.
・Horace Andy - Dub the Light
さて金曜日である。どちら様も良い週末をお過ごし下さい。
【LIVE→公演延期】MOON FACE BOYS 2021年9月18日(土)@音凪
ワクチン打たれましたか? 私はまだです。
予約券自体は初夏に郵送されていたものの、何でも肝心のワクチンが不足中とのことで、7月いっぱい予約受付不可という展開に。8月初頭より受付が再開されたものの、登録後は自治体からの空きのある会場と時間帯の連絡待ち…とのことで8月もすでに半ばを過ぎました。
今のところ自分は打とうと考えておりますが、このようなグダグダで不安定な状況下では、各々の立場によっては「打たない」という選択もまた個人的に尊重せざるをえません。
案の定といったような折からの感染拡大により、昨今の諸興行等も中止や延期が相次いでおり。
中でもごくごく小規模な催しとは言え…去る春先の延期公演に引き続き、無事参加できるのかはなはだ不安な状況ではありますが、とまれグラタンカーニバル10周年? ということでおめでとうございます。
当日はブレイン=光永惟行氏に加えて、その奥様でありMoon Face Boysメンバーでもあるカメイナホコ氏やpopo、アキビンオーケストラでおなじみの奇才江崎將史氏による少人数編成でお目見えと聞いております。
当日はMoon Face Boysもゲスト参加予定にて、何とか無事お祝いできることを今は願いつつ。
グラタンカーニバル10周年「Hi! Tycho's Star」
2021年9月18日(土)
@音凪酒場
大阪市北区天神橋1丁目14-4友愛ハイツ1F
出演:
グラタンカーニバル
ゲスト:
Moon Face Boys
開演17:00(開場16:00)
終演19:00(閉店20:00)
チャージ2500円+1ドリンク(別途要)
ご予約:
メール → otonagi20110601@yahoo.co.jp
電話 → 06-6353-8515 まで
Love will forget
今日は午後から久しぶりの晴れ間がのぞいている。
ピーマン肉詰めは餡に玉ねぎ多めにて五香粉や麻辣塩ほかスパイスなどを混ぜ込んで焼き、ナンプラーを仕上げに回しかけた。韓国風冷麺はスープも自作にて、こんにゃく麺でさっぱりと頂いた。キュウリとキャベツと塩昆布の揉んだのもこの季節にもはや定番化しつつある。
シンプルにナスをフライパンにオリーブ油を敷いて焼き付けただけのものに醤油とカツオ節しただけの一皿がまた、トロトロでとても甘みがあり至高であった。なるべく手をかけないでシンプルに頂きたいものであるとは常々思えど、気が付けばついつい手や品を加えがちなのがヘタっぴ故の悲しさか。
盆休みは家で徒然なるままにひたすらアマゾン・プライムに興じるなどで、久しぶりに色々な映画を楽しんだ。
両方とも韓国のコメディ映画だが、記憶喪失の殺人請負人と冴えない貧乏役者の人生が入れ替わる「LUCK-KEY/ラッキー」(2017年)、フライドチキン屋に扮して覆面操作する麻取捜査官のお話「エクストリーム・ジョブ」(2020年)が特に楽しめた。ご都合主義多々でもあるのだが個人的にはそこも含めて楽しんだし、気楽にニヤニヤと笑いながら見れるのが休日に持ってこいである。
ジム・ジャームッシュ監督「デッド・ドント・ダイ」(2020年)は期待外れであった。キャストはビル・マーレイ、アダム・ドライバーからクロエ・セヴィニーまで…はたまたトム・ウェイツとかイギー・ポップなどの往年盤石の豪華キャストを揃えているにも関わらず、である。このキャストをして、今さらいかにもなB級ゾンビ市場にあえて乗っかってはかようなゆるフワ・テイストで仕上げるのが監督一流のおふざけがクールなのもしれないが、個人的には終始あまりノレなかった。
アマ・プラは音楽系ドキュメンタリーも侮れない。ニック・ケイヴの音楽人生を振り返る「ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース」(2015年)も素晴らしかった。謎に包まれていた?その私生活やアートに取り組む姿勢などが垣間見られたし、至言金言だらけで大いに感動があったな。
昨晩は雨上がり決死隊の解散報告会を拝見。終始コンビ間の、今さら埋められようのない決定的なすれ違いや呼吸の合わなさを目の当たりにしているようで、何とも切ない気分になった。
アメトーークは個人的にもよく見ている番組で(テレビもないくせに…)、番組もコンビもこれまでは主に宮迫氏が引っ張ってきた印象があったのだが、ここ近年でもむしろ蛍原氏の強い覚悟と決意に満ちた表情や、コンビへの深い愛情が伝わってくるのが印象的であった。
ゲスト陣の発言もさすが、といった各々素晴らしいはなむけであった。ケンコバ氏の「ねじれ肛門と歌舞伎メイク」とか、原西氏の一発ギャグ「ビルゲイツ」の射し込みとか思わず感心してしまった。藤本氏の「解散までせなあかんのですか?」も響くものがあった。ひいては某吉本興業という大企業の闇も改めて感じてしまう。改めてラストはRCの「雨上がりの夜空に」に乗せられて。とにかく32年間お疲れ様でした、と言いたい。
Summer『In Malibu』(1976年)をば。
Abattoir RecordsというKalapanaなんかもリリースしていたUS西海岸のレーベルからのリリースのようで、実際Kalapanaメンバーも本作品の録音に参加クレジットされている。 西海岸AORにも通じるようなかの地のスムースなアンサンブルが、サラッとキレが良くてとても心地良い。アルバム通してジャングリーなポップ・ナンバーやメロウ・チューンの並びも良くて、晴れた日に洗濯機なんか回しながら1枚聴くと思わず暑さも引くようである。先日のOlomana共どもシンプルで素朴なプロダクションが好みである。
・Summer - Love will forget
ところで件のOlomanaのレコードを実はダブって購入していた事実が最近になって発覚した。この辺りは特にサイケ・レアグルーヴ認定されることは今後も全くないだろうし、未だに見つけやすく安価なのがまた個人的には魅力である。
KalapanaやCecilio & Kaponoなどのハワイ産LPはあちこちでウン百円の安値でゴロゴロ見かけるが(内容は良い)、どうやら70年代当時ここ日本でもハワイアンAORのひそやかな流行があったようで、国内盤化されていたりもする所以だろう。
現地には日系人も多いせいか、日本人とハワイという土地との相性も昔から何となく波長が合うような気がしている。一度も行ったことないし知らんけどね。
Ease Down The Road
本日あいにく外は大雨であり、明日からもしばらくは天気予報も傘マーク続きである。
いよいよ更新タームが空いてしまったが、先週末辺りは快晴で暑い日が続いたので毎日夏っぽいものを食したりしていた。冷やし中華やチャーハンなど。ハモが安くなっていたので初めて湯引いてみたりも。梅肉ソースも自家製である。
引き続き出町座にて「ケリー・ライカート特集」が開催されていたので、先週末は待望の「Wendy and Lucy」(2008年)、「Meek's Cutoff」(2010年)を鑑賞してきた。
2作ともミシェル・ウィリアムズ主演作で、奇しくもぶち抜きにて興味深い2本立てとなった。出し抜けに始まって出し抜けに終わる(というか続いていく)みたいな作風にも風通しの良い余白を感じるのは相変わらずだが、今回はそれぞれ失業中のホームレスが練り歩くオレゴン州の田舎町と、片や西部開拓使前夜の3世帯家族が練り歩く(同じく)オレゴン州の砂漠地帯を舞台にした…いずれも旅人が主人公のロードムービーだけど。その置かれた状況やずっと変わり映えしない風景等も相まってか、思わず息苦しくなるような密室的緊張感に満ちている。がしかし、その息苦しさすらもだんだんと心地よくなるような感覚は、やはり監督おこだわりの映像美あってではなかろうか? それはある種のホーム感にもなり得ると感じた。
連綿と続くオレゴンの風景の中で繰り広げられる群像劇が何とも魅力的であり、不思議なリアリティの創出にまたしても引き込まれた。もちろん専門分野にはめっきり疎いのだが、長回しで撮られる表情の機微などがやっぱりとても魅力的であり、個人的に信頼できる視点を持っている監督である。
自分の場合は、「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」(2013年)、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016年)の方を最初に見たこともあり、今回は初期作品のよりザラリとした魅力を改めて時系列に終えて大変意義ある特集であった。そしてこのタイミングで最新作「First Cow」の日本公開も決まったようで、こちらも楽しみな限りである。
個人的には中でも一番のお気に入り作である「Old Joy」(2006年)でカート役を演じたWill Oldhamこと Bonnie “Prince” Billy『Ease Down The Road』(2001年)を久しぶりに。ちなみにWillは上記「Wendy and Lucy」でも酔っぱらい役と劇中曲作で参加している。「Whooo, King Salmon!」の台詞でおなじみの。
ヘヴィ・フォーキー傑作『I See A Darkness』(1998年)の次作に当たる本作は、一方ぐっと肩の力の抜けた穏やかでリラックスした作風が個人的に肌に合って愛聴していた。
プロデューサーはThe Continental Op名義(Will Oldham+David Pajo)とされており、実際に先述のDavid Pajoもミキサーやプレイヤーとして全面参加しているのも特筆すべき点であると思う。裏ジャケの夕暮れのバルコニーでのContinental Opのセッション模様の写真よろしく…聴くたびにシンプルな抜け感のあるカントリー・サウンドが心地良く吹き抜ける。
余談ではあるが…David Pajo=Papa M名義で発表された『Live From A Shark Cage』(1999年)は、個人的にその発売以来〜現在に至るまで愛聴し続けている数少ない作品の1枚であり、自分の人生史上でも疑いなく5本の指に入るくらいの傑作アルバムであると思っている。
・Bonnie 'Prince' Billy - Ease Down The Road
All due respect was meant and all
The winds were in agreement
That this was answering the call
Of awkward and true feeling
The winds were in agreement
That this was answering the call
Of awkward and true feeling
人妻を旅に誘っては寝盗ってしまう、しかも消防士の旦那に免じてちゃんと火消ししておいた、というとんだ不貞な歌詞ではあるが。Will Oldhamの描く歌詞はセックスにまつわるものも少なくはない。
I'm Ready
思わずガブリ。おいち…しかも低カロリーときている。
牛スジとネギ、エリンギを塩コショウして炒めたの、ナスとニンジンをトマト缶とアサリ缶などとチンしたの、キュウリと長イモをポン酢でもんだの、オー米にはアオサとおかかを混ぜ込んで。暑いしもうテキトーである、テキトー。
Royal Trux 『Accelerator』(1998年)でも。
初期Royal Truxの、Ornette Colemanの提唱していたハーモロディクスの影響下にどっぷり浸かってしまい、混沌としていて継ぎ目のないような長尺&フリーキーな作品もひたすら最高であるし、一方この辺りの簡潔なガレージR&R作もまた大変愛着がある。
元Pussy GaloreのNeil Hagertyがアンプのスイッチをオンにしてトラッシュ&ブルージーなギターリフを弾き始め、Jennifer Herremaがマイクスタンドの前に立ってビッチ然とした気怠いボーカルを吐き捨てれば…そこには即座にR. Trux節が回り出す現象は、同じバンドマンとしては全くもって羨ましい限りである。
ギターに妙なモジュレーションがかかってようが、ミックスがジェットコースターみたいにガタガタでも…やっぱりそこもまた最高たる所以になってしまう。そんなだから、このアルバムもまた全曲素晴らしくて聴くたびに膝から崩れ落ちる。
特にクサクサした時などは、奴らのどうしようもなくデロデロと弛緩したR&Rを無心でスコールみたいに浴びるに限る。そうすれば(個人的には)立ちどころにリセットされてしまう何かが宿っていると思っている。
・Royal Trux - I'm Ready
Now you know I'm ready
Can't you see I'm ready?
Well, hell, you know I'm ready
Now you know I'm ready
Can't you see I'm ready?
Well, hell, you know I'm ready
Now you know I'm ready
・Royal Trux - Liar
このMVには一時期バンドにもサポート参加していた若き日のDavid Pajo(Slint、Tortoise)の姿も見えるではないか。
Royal Trux は2001年にカップル解消とともにバンドを解散してしまうが、2017年には突然沈黙を破って新作をリリースしたりもして。是非ともライブも拝みたいものである。
・Royal Trux - A Night To Remember (live)
お酒が最高に美味しくなるゴキゲンなR&Rバンドでもあるよな…なんて思わず考えてしまうのは、今日が金曜日であることも影響しているのかどうだか?
がしかし当時ライブが観たいと熱望しつつも、Neil Hagertyが大の飛行機嫌いで来日公演が実現することは今後もないだろう、と雑誌で読んだことをふと思い出したのだった。
Nem Paletó Nem Gravata
1945年8月6日8:15AM 広島に原子爆弾投下。
黙祷。
近所のベトナム料理店にてまた謎のシーズニングを数種入手したので、鶏肉とタケノコやキャベツに入れてベトナム風蒸し野菜にした。ベトナムでは一年中夏でも鍋物などを食すそうで、鍋用のシーズニングとお見受けしたが、適当に振りかけてナンプラーとレモン汁を足して味を整えた。
サワラのヅケとワカメとお麩のナムル、キュウリとチクワをキムチの残りと揉んでみたのと、作り置きの厚揚げ炊いたん、ラタトゥイユはそれぞれ作りたて時よりも角が取れて味がええ塩梅にまろやかになっており嬉しい。
この季節のキッチンでの火の使用はなるべく少なめに抑えたいところである。
Marcos Valle『Previsão Do Tempo』(1973年)を。
ポルトガル語で「天気予報」を意味する、御大の潜水姿が涼しげなアートワークが大変チャーミングでおなじみの本作は、個人的にも夏の定番アルバムである。
テンダーでファンキーなウキウキする極上ナンバー揃いで、ただでさえ昨日のような酷暑と湿度でズンと重くなりがちな足取りも軽やかにしてくれる1枚で重宝している。
Marcos Valleの朗々と紡がれるボーカルとギターがただでさえ最高であるのに加えて、Azymuth(←最高峰)のファンキーなバッキングがまたとても贅沢な邂逅となっている。心地よく絡む電子音も絶妙な相性で、終始漂うピースなグルーヴ感がたまらない。
Azymuthとの共演では前作に当たるインスト作『Fly Cruzeiro』(1972年)においては、クルゼイロ空港の当時マネージャーを務めていたお父上の縁故によってこの顧客向け非売品LPが製作された経緯がある、と読んだことがある。お坊っちゃまにして男前、かつこの音楽の才とは…もはや背中が遠すぎて羨望の感情すら湧いてこない。
↓アルバム2曲目の「Nem Paletó Nem Gravata」=「ジャケットもネクタイも着用してない」の意のようで、Google翻訳してみたところでは、社交界や俗世の窮屈なルーティンから逃れて刹那的な「喜び」のために生きたい(ている)、といった自由讃歌にも受け取れる。これまでのキャリアの変遷を見ても、その時々の気分に忠実で、変化を恐れない自由人気質なのだと勝手に察する。そしてそういう人物の奏でる音楽は自分にとっては貴重である。なるべく寛容で柔軟な姿勢こそが平和な社会を作ると思うので。
…かくいう自分もまた年々フリー・マインドを失いがちでよろしくない。