Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Mud Cup Monocle

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 今宵も鶏ムネ肉とキノコ類であっさりお鍋、下には大根、ニンジン、ゴボウなど根菜をたくさん敷いた。脂のノったカツオのお造りには生姜とニンニクを乗せてポン酢で。しめじとモヤシ、ニラなんかをザーサイや中華調味料と混ぜ合わせてチンしたの、などを頂いた。
 

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 「ブリティッシュベイクオフ」もゆるゆるシーズン6を見終わったところである。今シーズンは特に接戦であったような。…がしかし納得の結果であった。ご家族一丸となって喜ぶ姿が眩しくも微笑ましい。
 度々登場する「フィリング」「クリスプ」「プラリネ」なんかの単語は普通に日本でも使うな、とか。一方「レモンカード」も頻出やけど、この番組を見るまで個人的には全く聞いたこともない言葉だったり。「タラゴン」「キャラウェイシード」「アガベシロップ」なんかは完全に初めて知った。「ピスタチオ」もよく食材としても使用されるが、英国では「ピスタッシオ」と発音されているようである。自分の知らない土地の生きた言葉や文化が楽しめるのも魅力のひとつである。
 
 Caroliner『Rear End Hernia Puppet Show』(1985年)。
 ボックスを開けると、レコード盤の他にも手製のジンやハガキ、手書きメモ、誰かの家の鍵、雑誌の切り抜き、誰かの赤ちゃんの写真…これでもかと色々なゴミ? で溢れかえっておりまずは戸惑ってしまう。
 肝心の音楽はと言うと久しぶりに聴き返すに、よりカラフルで愛嬌ある大変ハッピーなものにも聴こえてくる。ここ最近の洗練され切った音楽には決してないような粗野な自由さが痛快であり心地良くすらある。
 

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 彼らの作品はかつて店頭で見かけるたび入手していたが、正直どれも文字は読みづらく、似たようなイラストやコラージュがあしらわれており、加えてそれらも個別に手ずから彩色されてたり切り貼りされたりしているため、これまではなかなか作品ごとの決定的な判別が難しかった。音楽も終始あんな感じであり…つまり全てにおいて混沌を地でいくバンドである。がしかし某Discogsなどで近年改めて時系列を確認したところでは、どうやらこれは彼らの1stアルバムであるようだ。TFUL282がカバーした「Outhouse Of The Pryeeeeeee」も収録されており、意外にも原曲に忠実なカバーであったことも窺える。アルバム中にはメンバーのクレジットはなく、ライブ・コンセプト毎にお手製の舞台や衣装と併せて、各自架空のキャラクター名などが存在したそうであるが…果たしてそのお面の裏では、先述のGregg Turkington、Brandan Kearneyの他にも、Dame Darcy(Darcy Megan Stanger)なんかも参加していたようで、個人的にはなかなかの豪華メンバーである。
 
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 作品を出す毎に技術が向上して聴きやすくなったりポップになったり…といったよくあるバンド・セオリーとは一切無縁なのである。彼らの確固たるプリミティブな世界観は当初から完成しており、そのまま長きにわたり独自の美学や哲学を表現し続けている、とも言える。今聴くと音楽も無茶苦茶なようでいて「乱調の美」とでも言うべき秩序を感じるような、やっぱりそうでもないような。
 
・Caroliner - Mud Cup Monocle(Live)

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 首謀者Gruxの自ら提唱する「19世紀の歌う野牛によるカントリーミュージック」かどうかはわからないが、ジプシーのようなトライバル感も不思議と感じる。今聴き返すとサンフランシスコというお土地柄もあってか、例えばFlipperとかChromeなんかの正統な? 流れを汲むトラッシュ&アシッド・パンクにも聴こえるし。とは言え当時のCarolinerは「ノードラッグ、ノースモーク、ノードリンク、ノーミート」の姿勢を貫いていたようだが、そんなところにも決してユルくなどではない強固なアティテュードを感じる。当時は良くも悪くも精神錯乱者による奇行的な紹介のされ方が目立ったが、今となってはむしろ地に足着いており、知的でストイックなタイプのパンクスか美術家による作品群にも思えてくる…がこの際もうどちらでも良いではないか。個人的には今なおいっそうこの唯一無二のアートがただ愛おしくなる。
 
 2nd作『I'm Armed With Quarts Of Blood』(1990年)ではグッとフォーキーになっており? こちらも素晴らしいのだが、裏面にはタバコの吸い殻や丸めたティッシュ、砂粒などが貼り付けられている。
 
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 …というわけで行きがかり上なんとなくサンフランシスコの地に想いを馳せた1週間であった。 
 金曜日ですね、おっとそうですか。ゴキゲンよう。