Boys Tree

MOON FACE BOYS, mono tone boy, Go to Bed! Records

Above Our Heads

 三四郎のANNがゼロ(2部)に降格になるそうだ。現オールナイトニッポンの並みいるレギュラーの中でも個人的に最も愛聴している番組なので、ゼロになっても単純に存続が嬉しい。昨今の霜降り明星の活躍を見るにこの逆転劇は時間の問題でもあったろう。ただし三四郎は「敗け様」が真骨頂と思える芸人さんでもあると思うので、誠に勝手ながらも、ますますのびのびと邁進してほしい次第である。

 ホヤが半額になっていたので購入、はじめて自分でさばいてみたのだが…まんまとグロ&閲覧注意案件となってしまった。2つの突起のうち間違った方をカットすると排泄物が噴き出してくる、ということなので注意深く包丁を入れていくが、どっちみち勢いよく噴き出した水にまんまと両目をやられてしまった(幸いメガネをかけておりレンズのブロックで事なきを得たが)。
 さばくと中には一匹のキャワゆいネコちゃんが隠れていた…。このカラーリングといいヌメヌメ具合といい正しくスターウォーズ辺りにでも出てきそうなフードであり、家にいながらにして見知らぬ惑星巡りさながらの風情である。
 
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 細切りにしたホヤはキュウリとワカメと和えて酢の物にしたところ、独特の香りとフワ&コリな食感がなかなかクセになりそうで、辛口の日本酒によく合いそうな一品だと感じた。
 珍しく週末の外出続きに身体が若干疲労を感じていたのか無性に野菜を欲しており、白菜とブリのお鍋、マグロのヅケと新玉ねぎ他の温サラダと一緒に頂いた。
 

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 Sam Prekop『Comma』(2020年)を聴く。
 かつて2000年初頭くらいまではSea & CakeやSam Prekopのリリースする作品群を愛聴しており来日公演にも通ったりしていたが、実は正直なところ、以降の動向についてはあまり追っていなかった。
 

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 個人的にリアルタイムでは特に1999年のS.Prekopの初ソロ作とか、2000年Sea & Cakeの『Oui』がリリースされた時期辺りがピークで、それら作品に静かに高揚しては、聴くたびにその無駄のない完成度に溜め息をもらしたものだった。ちなみに前進のShrimp BoatやCoctailsなどは遡って聴いていた世代の人間である。
 その後、近年Sam Prekopがモジュラーシンセ演奏に傾倒していることは伺い知っていたものの、その辺りの作品についても実は横目で見て通り過ぎていたような形だった。
 そんな私が昨年ふと新作に手を伸ばしたのは、リリース時に視聴したMVがとても琴線に触れたからである。アルバムの最後を締めくくるこの曲の映像は、短めで簡潔ながらも雄弁であり、音楽そのものにもワクワクするエピローグ感を感じた(モノローグではなく)。
 
Sam Prekop - Above Our Heads

 

 かくして久しぶりに手にしたソロ新作は素晴らしい出来栄えで新しい愛聴盤となった。ユニークな電子音が形を成さずに雲のように連綿と流れていくのを、ただ無心でぼうっと眺め続けているような心地よさがある。
 自分の知っている(と思い込んでいた)氏のこれまでのアプローチとは異なる形とはいえ、そこには氏持ち前の人懐っこいミニマリズムや、シンプルでモダンなデザイン性が満している。長い時間を隔てて、この瑞々しい新作が久しぶりの便りのように自分に届いたことを大変嬉しく思う。
 氏のfacebookでは毎日の日課のように、地元シカゴのそれと思われる静的な風景写真がアップされているのだが、併せてパッチシンセの演奏風景動画が同様の頻度にて絶えずアップされている。氏の新しいライフワークと尽きない創造力には、画面越しに日々何かしらのエネルギーをもらっている気がする。

I Must Be in a Good Place Now

 日曜日は春の嵐の最中、またまた松本邸で録音であった。
 前回なかなか納得に至らなかった曲の録り直しをメインに作業した。ふとその場の思いつきで録音してみた曲の方が1〜2テイク内ですんなり録れたりするから不思議なものである。おかげ様でベーシックはほぼほぼ良い素材が揃いつつある。
 
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 本日のランチは、またしても松本シェフによる振る舞いで「明太子パスタ」を頂いた。
 バターでなくオリーブオイルを使用、大葉も刻み海苔も散らさない、というミニマル極まりないひと皿に思わず松本シェフの美学と哲学を見る思いだった。自分などの俗人は日頃いかに先入観の囚われの身となっていたことか…バターなどより断然オリーブオイルの方が魚介の美味しさは引きたつ、余計なあしらいはむしろ味を濁らせる、などという基本原理をすっかり忘れていた。
 特に録音作業メシにおいては「簡単で美味しい」これこそが至上命題であったことに改めて気づかされて感動を禁じえなかった。さすがは「ねずみ色の巨匠」である。 
 
 現場に持ち込んだ「チョコレート効果 カカオ72%」の評判がなかなか良かった。私は個人的にも日頃から同シリーズの86%か95%をよく仕事のブレイク時などに食している。ただでさえ甘さ控えめなのに加えて、低GI値なので脂肪がつきにくく、かつ抗酸化作用の高いポロフェノールが多く含まれた、なかなかに優秀なチョコレートなのだ。何よりもカカオの香りが強くて美味しい大人仕様のチョコなのだ。私のオススメの食べ方は冷凍庫に常備していて、ひんやり固めのをコリコリ(時にボリボリ)食すべし、これに尽きる。独特の食感とその後に訪れる口溶けが何とも贅沢な…これぞ通称「貴族喰い」である。
 

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 先日のネガポジでのライブ映像を撮影して某「真夜中ほにぇにぇ軒」に投稿したのだが、私は放送日を迂闊にも1日勘違いしており、すでに前日にオンエア済みである事実を知らされた。
 がっくり…。ここ最近のバンドの力を入れた(ある意味力の抜けた)新ナンバーであり、こう見えても音源は映像と別撮りしており、映像編集の際にもこれまで使ったことのない画像アプリを3つくらい導入してみたり、となかなか手間をかけた代物だったのだが。しかもゑでぃ氏のご厚意にて、顔が隠れてしまっていたドラマー氏の画を終始差し込みまくってくれていたらしい。
 
 
 Bobby Charles『Bobby Charles』(1972年)にひとり針を落としてお茶を入れる…誰にも不可侵のテリトリーにおける正しく至福の時間である。
 B. Charlesはライブ・ステージを極端に嫌うシンガーだったそうである。故Nick Drakeの自伝を読んだ際にも同様のエピソードを目にしたことがある。いつの国や時代にも人前に出るのが極端に苦手な人間はいるものだが、でもだからこそ、このようにナイーブで親密な作品が遺せたとも言えるだろう。
 

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  ジャケットアートの写真よろしくなスロー〜ミッドテンポ中心の牧歌的なレイドバック感がこたえられない1枚である。The BandのRick Dankoもプロデュースに参画、The Bandメンバーなども演奏に参加しておりウッドストック印のルーツサウンドに思わず頰がほころんでしまう。一方のBobbyご自身はニューリンズ出身の移住者であって、そうした流れか同郷のDr. Johnなどもゲスト参加しており、当時のこんな交流もまた良きではないか。
 とはいえそんなにぎやかしにも関わらず、あくまでも「孤」を強く感じさせる、ひとりだけの時に浸りたいレコードだ。それは2021年の現代にあっても、仕事を終えてひとりきりになりたい人間のささやかな充足感に寄り添ってくれ、心地よい疲労感を癒してくれる「住処」のようでもある。
 
・Bobby Charles - I Must Be in a Good Place Now

Wild apple trees blooming all around
I must be in a good place now
Sunshine coming through
A rainbow coloured sky
Paints pretty pictures in my mind
 
 Vetiverのカバーver.も良い。
 ところで家でもし自分が作るならば…大葉か刻み海苔は必須だな、そもそもパスタ料理自体最近あまり食べていないけど。

A Decade of Regression and Regeneration

 東九条の韓国料理屋さんにてマッコリと焼肉を頂いた。甘辛ダレにじっくり漬け込んだお肉をお客さん自らロースターでお好みに焼くのがこの辺りのスタイルである。「天肉」というメニューも京都ならではだろう。チジミやナムルなどどれを頼んでも安くて美味しくて、人と囲む久しぶりの外食にしばし感激した。
 時勢柄もあるのか観光客などは見当たらず、ほとんどローカルのお客さんが中心のようであった。本日までは21時までの時短営業とのことで、ダラダラと長居をしない会食もまた悪くないものである。
 

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 その前に、京都駅南東九条の北河原市営住宅跡地で開催されたANTIBODIES Collective 新作公演『A Decade of Regression and Regeneration』初日を観覧してきた。
 
 場内配布パンフにもあるように、京都駅南口地域は戦後闇市の盛り上がりによって韓国・朝鮮人住民が一気に増えたが、高度経済成長の終焉とともに若者や行政からも見放された「被差別地域」へと追いやられ続けた歴史的背景があり、現在こそポツポツと公営住宅も建ちつつあるものの、今でも街全体にその面影を見ることができる。かく言う自分もこちらに引っ越してくるまでは、寡聞にして京都駅の真裏にこのような地域が広がっているという事実を知らなかった。いわゆる『パッチギ』で見るような断絶はここ関西においては実際に根強かったのである。
 界隈は古い建物も多いせいか街全体がどこか煤けたイメージで、倒壊した建物などがあちこちでそのままになっていたり、と不穏な雰囲気が漂っており、なかなか他では味わえない風情に不謹慎にも興奮してしまうが…当該地域には近年「文化芸術振興」の一環として文化庁移転や芸術大学招致なども決定している。地域住民にとって日常生活が向上することは喜ばしいことだろうが、アンチボも市民と向き合っているのでは決してないことが明白な市政・国政に対してそのテキスト中で警鐘を鳴らしている。
 京都駅からアクセスも良好な立地であるし、この町並みも間もなくビジター向けに見た目はツルんと洗練されたものに生まれ変わるのだろう。町家っぽいゲストハウスや、例のそれっぽいモニュメントみたいなものでもあちこちに据えてそれっぽくでっち上げるのではなかろうか。利権がらみの営利追求型の大企業や政府主導の、アートでも蒔絵により外部から人を呼び込もう、なんていう単純な青写真には、またもや地域住民は元よりアートそのものの意義や向上など決して写り込む余地はない。地域住民の理解と尊重のためにも時間をかけた話し合いが必須であろう。
 
 震災からちょうど10年が経ち、コロナ渦中の現在地からのアンチボのステイトメントとも言える今回の公演内容は、上記に正面から向き合うような徹頭徹尾インディペンデントなものであった。
 空き地スペースを会場にした場内の建て付けや美術も全て自身らによって設計、建築されたような佇まいいわゆる「洗練」とはほぼ遠い。ダンサーやミュージシャンにしてもいわゆるスターやプロ等を用意しました、みたいな選出ではなく、地域や個人同士のつながりの中で自然発生的に生まれたもののようであった。場内の飲食出店なども同様で、友人知人の顔にもあちこちで出くわして、会場全体が小さな村であるようなトライバルな印象を感じる。
 闘技場かサーカステントのような広いメイン・スペースがセンターにはあるものの、他にも場内のあちこちに併設された大小の建物や足場を舞台にして、同時多発的にあちこちで音楽や舞踏が始まり、観客は思い思いに移動しながらそれを鑑賞する形であった。野外公演ではあったが、入場時に検温、アルコール消毒などもあり、上記の観覧形式でもあったのでウイルス対策に対しても工夫して取り組まれているように感じた。

 

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 公演の流れに大まかな展開は感じるものの、個々のキャラクター、集まった時のダンスなどもバラバラで、演者たちは基本的には自発性を尊重されて思い思いに参加しているように見えた。今考えると西部講堂で観た時に比べても、意図的に細かい振り付けみたいな書き割りが排除されているようにも感じる。個々が交わったり交わらなかったりする思い思いのアクトは、はっきりいって「カオス」そのものだが、そこが風通しが良く感じて個人的にグッときた。例えば東野祥子氏やケンジルビエン氏らのダンスはダンサーたる由縁のキレそのものであったが、一方でジョン(犬)氏が珍入してみたり、スーツのエージェント?、全身タイツの女性や前髪に覆われた二人の女学生、乳母車を押した老婆がウロウロしたり…と様々な人種が終始場内を往来していた。
 音楽もまた然り、呪術的、即興的な電子ノイズがいつ果てるともなくプリミティブに鳴り響いており居心地が良かった。陽が落ちて松明に照らされたウンラヌ祥三氏によるリチュアルなギターと東野氏の静的なダンスのデュオでぐっと公演が引き締まった。
 途中正直、自分が少し苦手とする高円寺か左京区辺りの?サブカルっぽさに流れそうになった場面もあったが、そこも含め一貫して公演全体が決して一方向には向かわない、本公演ではあえて「混沌」とさせておくという演出の気概を感じた。
 
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 取ってつけたような結びはあえて避けておくが、個人的には久しぶりに伸びをして自由な気持ちを取り戻したような後味があり、渦中で迷ったものの現場に足を運んでみて得るものがあったのだった。 
 

 
果てしない混沌の うごめきのなかで 
命の限りに輝くために 生まれて来たことを忘れないで欲しい 
あなたが踊れば 暗闇も踊るから 
ほら もう怖がらないで

 

 
 

さよならやっと会えた

 台湾風おでん最終日…名残惜しくも平らげた。とても簡単で美味しくできたので是非ともまた寒くなったら仕込もうと思う。長芋やキュウリ、ミョウガを漬けたものはもはや定番である、適当に切って酢とめんつゆに漬けるだけ。
 

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 仕事後に堀川会議室へ。喫茶ゆすらごも休業がちな昨今では、もはやここが数少ないオアシスというか、周囲の音楽好きな友人との寄り合い場所みたいになっているな…また新しい出会いもあったり。感染症対策にも積極的に取り組んでいるし、そもそもオープンエアで人出もそこそこまばらなのが居心地よい。精力的に場をオーガナイズしてくれている山内弘太氏には頭が下がるというものだ。

 久しぶりの黒田誠二郎氏ソロを長尺で堪能した。サンプラーや多数の楽器等を駆使した音響的なセットで新鮮であった。とはいえ持ち前の情景を想起させるようなストーリーテラーぶりを発揮しており、長尺な分ゆっくり浸ることができた。
 
 mmm氏は3都市をつないだリモート演奏にて稲田氏、山内氏を従えて。こちらも空気を多く含んだ真摯な歌が、飾り気ない温かみをもって響いた。個人的にはリモート演奏時の各パートの音や映像の遅れや音質の見劣り等のストレスはほぼ感じなかった。稲田氏のトライ&エラーにおける改善の賜物なのだろう。
 
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 黒田誠二郎「きつとふいくしよん」(2017年)を久しぶりに聴く。
 京都は七本松に店舗を構える喫茶ゆすらご店主の静かな独白による、シン…としてジン…とくる自主制作10吋盤。 愛する奥さんと猫に囲まれた愛あふれる京町家にて、その喫茶営業のかたわらプライベート録音された10編の歌々がしたためられている。それほど前の作品ではないのに、リリース時点からすでに骨董のような佇まいでもある。
 

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 その大きな猫背とリーチの長い腕手指に抱え込まれたギターとチェロからは、どこか動物の鳴き声のような、声にならない軋みや擦れがしぼり出される。音数は少なくごくシンプルである。大事に奥殿にしまわれた宝物を今うやうやしく取り出すかのように吐き出されていく…そんな印象の歌声とも相まって、最初は引っかき傷やホコリかに見えた小さな欠片が、ふと気がつけば豊かな一筆書きか一枚画にでも見えてくるかの風情が実に奥ゆかしいではないか。
 どこか淋しくて、同時にどこか可笑しみがある…何ともユニークな面構えをした実に味わいある謹製短編集なのであった。
 
僕らは僕らの燃える嫌なにおいも
いまわしいあの部屋の退屈も
ぜんぶがほら、遠くはなやぐ
ほら、遠くはなやぐ
やっと会えた ほら、やっと会えた
 
 早くゆすらごも通常営業に戻って、また独自のチョイスが光る催しやライブミュージック、人々の笑顔に触れたいものである。フムフムとチャオにももっと会いたいしね。

Lick My Decals Off, Baby

 台湾風おでんも3日目を迎えた。冷蔵庫の中でお味はますますしみしみで、鍋の中で具材たちの生態系が互いに歩み寄り尊重し合うことでかつてない調和を見せている。 
 ブリあらと白菜を蒸したものに自家製ドレッシングをかけたもの、長芋の浅漬けfeat.塩こんぶを箸休めに。長芋は糠漬けにも投入したのでこちらの出来上がりも今から楽しみである。
 

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 懸案であったLINE騒動も結局その日のうちに返信を頂き事なきを得た。というのも相手の寛大な対応あってのことだろう。
 私のような出来損ないに関わってくれるような御仁は、よっぽど寛容で辛抱強いと相場が決まっており、これまでそういった周囲の友人知人に支えられてどうにか生き延びているのであった。
 
 大好きなCaptain Beefheart『Lick My Decals Off Baby』(1970年)を久しぶりにオン。その昔ニューヨーク・シティに遊びに行った際に新品で入手した再発盤であるが、当時の値札に12ドルとありしみじみ…15年くらい前にはLP1枚が12ドル程度で購入できてたんだね。今やレコードは高級嗜好品である。
 1曲目冒頭からあふれ出てラストまで駆け抜ける、この名状しがたい意味不明なエナジーの集中砲火を浴び…あーあ何とも胸が空くことであるよ。
 C. Beefheartのアルバムはどれも素晴らしくて甲乙つけがたいが、個人的には特にこの作品を愛聴してきた。例えば著名な『Trout Mask Replica』のような混沌ぶりも好きなのだが、ここではぐっとスカスカでソリッドなアンサンブルが聴けるのが好みだ。
 

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 より剥き身で解像度の高いDon Van Brietの狂気に触れられるというか。そのプリミティブさゆえかブルージーでありながらガレージぽくもあり、今聴くと後のラップやファストコアまで通底するような趣きもある。下手なエナジードリンクよりも元気が出ること請け合いの不朽の名作である。
 
Captain Beefheart & His Magic Band - Lick My Decals Off, Baby

 
 メンバーであるZoot Horn Rollo著の『ルナー・ノーツ』は、リーダーD. V. Brietの現代ならそのカルト宗教の教祖かモラハラ認定スレスレの独裁ぶりが伺える迷著だ。
 …例えば著者に関して言えば、バンドの毎日のハードな練習のためにコミューン的に軟禁されて、運営資金もメンバーの財布はおろか、その家族からもせびっていたという話である(Sun RaやJBなどにもその気はあったようだが)。
 その謎のひたむきさあってのこのサウンドであるので、例えばこれを現代において常人が目指す事は社会的な孤立どころか…最悪の場合は訴訟沙汰まで見えるため、今C. Beefheartのアルバムを聴くという行為は、「ゆめゆめ志す事なかれ」という反面教師的な教訓めいたものをしみじみ感じる。

Illusions

 多めに仕込んだ台湾風おでん2日目は、期待を裏切らない味のしゅみ具合であった。特に豚肉と大根の調和ぶりには思わず脳が溶解するかと思ったほどである。菜の花にはポン酢とかつお節をかけて…油断している間にうっかり花が咲き始めていた。キュウリとミョウガを浅く漬けたものを箸休めに頂く。温野菜に自家製ドレッシングは手軽すぎて全く飽きがこないので、春先も引き続き活躍しそうである。
  

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 オリンピックまだやる気なのかな? これ以上恥の上塗りを世界中に知らしめて行き着く先はどこなのだろう? 歴代に渡る癒着や利権にがんじがらめになってしまい、もはや一個人の裁量で「止めよう」などと言い出せなくなっているのだろう。
 そう考えると森氏もヒールとしての役割を自覚して、それを見事に全うしたのではないか。新しいヒールになるのが嫌で、皆貝のように一様に口を閉じているかに見える。
 そもそも象徴的なロゴのパクリ問題から悪夢のように続くトラジックコメディ劇の連続に、当初の苦笑いもとうに引いてしまった。コロナ渦中も冷めやらぬ間に、もし今の東京で無理やり開催されたとしても、史上稀に見る茶番劇で目も当てられないだろうな。逆に下世話な意味で興味が湧いてくる。
 とはいえ一番翻弄されるのは血税を搾られる国民と、何より短い競技人生を賭して日夜真摯に調整に臨んでいるアスリートであって、そことの折り合いは一体どう決着をつけるのだろうか?(その気もないようであるが)
 
 件のMid 90'sやチカーノ・ソウルの流れもあってか初期Cypress Hillを聴き直している。
 当時は主に1、2枚目を愛聴したものだが、この3作目も改めて傑作である。『III - Temples Of Boom』(1995年)はそのブラックメタル・バンドみたいなアートワークよろしく、ここへきて更に気だるさの遠心力が極まっているというのか。DJ Muggsのトラックもより深みにハマって重たさを増しており、B-Realの眠たいラップのキレもますます冴えていてゾクゾクする。
 

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 ちょうど年末のDJ機会にもこの曲をかけたのだが、この不穏なギターサンプルに被さるサスペンス調にも聞こえるヴィブラフォンGary Burtonの「Las Vegas Tango」のサンプリングである。
 それにしても自分たちがかつて聴いていた90年代のA Tribe Called Quest辺りのヒップホップのお歴々がサンプリングしたソウル・ファンクやジャズの元ネタ周辺のレコードを、今私は主に嬉々として聴いているという…これぞ音楽のリサイクル、エシカルな生活?というものである、知らんけど。
 がしかしこの辺りは聴けば聴くほどにズブズブの沼である(だから楽しいのだが)。 やっぱり某Apple MusicやSpotifyでも始めようかしら?
 
 ・Cypress Hill - Illusions

I'm havin' illusions, 
all this confusion's drivin' me mad inside
I'm havin' illusions, 
all this confusion's fuckin' me up in my mind
 
 ちなみに私は特にカナビストではない、単純に遅い音楽が好きなだけなのである。もちろんもし合法化された暁にはやぶさかではないが。
 

Riverside Reading Clubが、下高井戸の名店・TRASMUNDOで「チカーノ・ソウル」を語る【前編】|好書好日

宮田:あれもチカーノたちの姿ではあるんですけど、あくまで一部なんですよ。それは『チカーノ・ソウル』に書かれてることにも言える。日本では「チカーノ=ギャングスター」というイメージだけがステレオタイプ化されてしまった。実際チカーノをメキシコ系ギャングと翻訳しちゃうような人もいる。でもそうじゃない。「チカーノ」という言葉にどれほどの誇りが込められているのかを知ってもらいたい。そもそも僕ら日本人が「あなた、チカーノでしょ?」なんて言っちゃいけないんですよ。

 
 

Shoe In

 昨夕はちょっとした奇跡に立ち会った…いや正確には奇跡を起こしてしまった。
 どうしても台湾で食べたおでんが食べたくなった私は、今宵自分の手で作ってみることにした。水、醤油、酒、ショウガとニンニク…構成要素は意外とシンプルなようであった。どうやらネギ多めがポイントであるらしい。まずは豚ブロック肉250㎏を投入したところで、はて具材は他に何を入れるのがよいのかわからず、大根の輪切りを鍋底に敷き詰めて練り物なども入れてみた。卵などが入っていればより雰囲気が出たかもしれない。
 とにもかくにも台湾の街中のあちこちで立ち上っていた食欲をそそる八角の香りは絶対に欠かせまい、と多めに投入してダメ押しで五香粉も振ってみた。個人的な好みでショウガを多めに入れたことも功を奏したようだ。参考レシピによると「2時間煮込む」と書いてあったが、せっかちな私はとても待ちきれないので1時間に短縮した。多めに仕込んだので明日にはよい塩梅にしゅみ渡ることだろう。
 
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 ともかく煮込んでいる最中、沸騰した辺りから強烈なアノ香りが私のキッチンに立ち込め、仕上げにかつおぶしをかけようものなら、もはや言葉も出ない。家にいながらにして台湾の路地に迷い込んだかのような錯覚に陥り、しばし訪れた旅情に恍惚としたのであった。
 加えて新玉ねぎが出ており、1つ38円とお安かったので、コンソメと胡椒を少々かけてレンジで6分ほどチンした。仕上げにオリーブオイルを垂らしてみたが…これまた至高の甘みに到達しており、感動することしきりであった。最近は無精がちな糠床の中で古漬けになっていた豆腐ほかも何ともよき食感と深みある味わいであった。
 それは間違いなく…この住み慣れたホームにいながらにして、一夜のうちにありつけたとは到底思えないような奇跡の3品であったのだ、絶対である。
 
 がしかしその事実は私しか知りえない…えてして奇跡とはそういうものだろう。
 

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 とはいえ人生全てが上手く、とはいかないものである。
 
 全くもって Everything is "not" alright なのである。
 
 いつも私はひと言多い…自覚はあるのだ。和ませるつもりで何気なく放ったつもりの軽口が、今時間を経て大きな失言となって私自身を苦しめている。しかもオンラインだと相手の反応がダイレクトにわからないため難しい。相手が私の言葉を気にしているかどうかは正直わからない。とにかく相手に対して申し訳ない気持ちから謝意を手短に伝えたものの…LINEが未読スルーということはそういうことだろう。…こういうせっかちなところも何だかな、だ。
 いつも通り自業自得であるのだが、またもや猛省である。
 
 こんな夜にはThe Secret Stars『S/T』(1995年)のカセットでも聴くことにしようか。
 KarateのGeoff Farinaが親友のJodi Buonannoと一緒に、90年代のごく一時期にプレイしていたデュオだ。(2人は特にプライベートではパートナーではなく、それぞれ別のお相手と結婚しているようだ)
 シン…と慎ましく多くを求めたり語ったりし過ぎない作品で…人間かくも謙虚にありたいと身を正すものである。
 

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・The Secret Stars – Shoe In(8:28〜)​


Up in heaven, you're a shoe-in
If you open up your heart to me

 
 焦ってヒトとの距離なんて縮めようとしなくていい、
 自然にまかせてただただ一緒に揺れていればいい…無言でそんな風に言われているような気がする彼ら「秘密の星々」の音楽は今もって稀有な存在である。